TRONWARE|Personal Media Corporation

TRON & オープン技術情報マガジン

TRONWARE Vol.199

TRONWARE Vol.199

ISBN 978-4-89362-365-2
A4変型判 並製/PDF版電子書籍(PDF版)
2023年2月15日発売


特集:2022 TRON Symposium「ネクスト・インフラ」

TRONプロジェクトの1年の総決算であるTRON Symposiumが2022年12月7日から9日までの3日間にわたって開催された。

2022 TRON Symposium―TRONSHOW―のテーマは「ネクスト・インフラ」。TRONプロジェクトは1984年から40年近く「オープンアーキテクチャ」の哲学に基づき、組込みリアルタイムOSの開発やオープンデータの利活用の推進、オープンIoTを実現するためのオープンAPIの研究など、基礎から応用まで幅広いプロジェクトに取り組んできた。

コロナ禍でのTRONSHOWも3回目となったが、今回もリアルとオンラインのハイブリッド開催となった。感染症対策と社会活動の両立という「ニューノーマル」な生活様式も人々の生活になじんできたようだ。

ICTインフラの世界では「Rebooting」が進んでいる。次の10年を見据えて、「IOWN」(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)に関するさまざまな取り組みが始まっている。これは、ネットワークから端末まで、すべてにフォトニクス(光)ベースの技術を導入し、圧倒的な低消費電力・高品質・大容量・低遅延の伝送を実現するオールフォトニクス・ネットワーク(APN:All- Photonics Network)の技術を使う。TRONプロジェクトとしてもIOWN構想に賛同し、積極的に協力していく方向性が示された。

講演・セッションでは社会のDXを牽引する先駆者たちからさまざまな基盤技術や応用技術が紹介され、今後の展望が語られた。

展示会場では、コロナ禍で縮小されていた展示ブースでのミニセミナーも再開されるなど、企業、政府、国内外の研究機関による最新の研究成果やソリューションが積極的にデモンストレーションされていた。

各講演・セッションの概要はTRON Symposium公式サイトの「講演・セッションスケジュール」(https://www.tron.org/tronshow/2022/regist/schedule/?lang=ja)で確認できるほか、TRONWARE VOL.199では全講演・セッションの報告記事を掲載している。

基調講演 ネクスト・インフラ Next Generation Infrastructure
─2022年のTRONプロジェクトと今後の展望─

2022年12月7日(水)10:30~12:00 展示会場シアター
坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)

今回のテーマは「ネクスト・インフラ」。基調講演では、次の10年を見据えた情報通信技術のインフラとして注目されているIOWN構想が詳しく紹介された。IOWNはフォトニクス(光)ベースの技術によって低消費電力、大容量、低遅延を実現する次世代の情報ネットワーク構想である。TRONプロジェクトとしてもIOWN構想に賛同し、積極的に協力していく方向性が示された。

さらに、UR都市機構の共同プロジェクト「Open Smart UR」とハウジングOSへの取り組み、メタバースやデジタルツインOSなどに関わる話題が取り上げられ、そうした未来の生活環境を実現するためのTRONプロジェクトのさまざまな活動が紹介された。

1984年に始動したTRONプロジェクトは2024年で40周年を迎える。また、TRONSHOWは今回で39回目となり、2023年は40回の節目となる。坂村教授は「2023年のTRONSHOWは40回記念として盛大に開催したい」と展望を語り、協賛企業に向けて日頃の感謝を伝えるとともに、継続した支援を呼びかけた。

IOWN特別セッション「IOWN Global ForumにおけるIOWN実現に向けたグローバルなパートナーシップ」

2022年12月7日(水)13:00~14:30 展示会場シアター
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)
登壇者:荒金 陽助(日本電信電話株式会社 研究企画部門 IOWN推進室 担当部長)
服部 雅之(ソニーグループ株式会社 R&Dセンター 特任技監)
大野 誠(インテル株式会社 執行役員 新規事業推進本部 本部長 兼 経営戦略室 室長)
青木 泰彦(富士通株式会社 未来社会&テクノロジー本部 IOWN/6Gプロジェクト シニアディレクター)
伊藤 幸夫(日本電気株式会社 コーポレート・エグゼクティブ)

さまざまなAIやIoTのサービスが私たちの生活に入り、飛躍的な発展をとげた現在。しかし、ICTインフラに対する「より高速に」「より大容量に」という要求はますます加速するばかりだ。それに加え、持続可能な社会実現のためには環境へのインパクトの少ないICTインフラが、まさに今求められているといえるだろう。

IOWN Global Forum(以下、IOWN GF)は、こうした課題を解決する次世代のICTインフラ構築のために2020年1月に設立された団体だ。本セッションではIOWN GFで活躍する各社が登壇してその活動を振り返り、今後の展望を語った。

DX特別セッション「日本のDX」

2022年12月7日(水)15:00~16:30 展示会場シアター
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)
登壇者:受川 裕(日本電気株式会社 執行役員)
田丸 健三郎(日本マイクロソフト株式会社 技術統括室 業務執行役員)

少子高齢化、地方活性化などわが国が抱える社会課題の解決のため、政府や地方自治体、企業などさまざまなレベルにおいて求められているDX(デジタルトランスフォーメーション)。しかし、日本においてはDXを阻む壁も存在する。それは慣習、因習であり、組織にとっての「当たり前」を打破しないかぎり本質的なDXの実現はありえない。

本セッションは坂村健教授がゲストに日本電気株式会社(NEC)の受川裕氏と日本マイクロソフト株式会社の田丸健三郎氏を迎え、世界をリードするICT企業がDXを実現するためにどのような取り組みを進めてきたのか、そのソリューションについて深掘りする。

バリアフリー・ナビプロジェクト(ICTを活用した歩行者移動支援の推進)

2022年12月8日(木)10:30~12:00 展示会場シアター1
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)
登壇者:松田 和香(国土交通省 総合政策局 総務課政策企画官(併)政策統括官付)
岩崎 秀司(株式会社パスコ 事業統括本部 G空間DX推進部 副部長)
岡崎 慎一郎(株式会社ティアフォー 事業本部 Vice President)
諸隈 立志(準天頂衛星WG座長、ユーシーテクノロジ株式会社 代表取締役)

国土交通省が進めてきた「バリアフリー・ナビプロジェクト」は、歩行空間における段差や傾斜、エレベーターなどのバリアフリー情報を「歩行空間ネットワークデータ」として、自治体や事業者と協力して収集し、オープンデータにしてさまざまな分野で利活用できるような環境整備を推進するという取り組みだ。

本セッションではこの「歩行空間ネットワークデータ」を活用した自動走行ロボットの走行実験、およびエレベーターや準天頂衛星システムとの連携、バリアフリーオープンデータプラットフォームなどについて、その詳細が解説された。

Open Smart UR

2022年12月8日(木)13:00~14:30 展示会場シアター1
コーディネータ:坂村 健(Open Smart UR研究会 会長)
登壇者:米澤 武久(独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)本社 技術・コスト管理部 ストック設計課長)

独立行政法人都市再生機構(UR 都市機構)とINIAD(東洋大学情報連携学部)は、2030年という少し先の未来の住まい方を模索する「Open Smart UR」プロジェクトを共同で推進している。

UR2030の実現に向け、コンセプトの一部を実現した体験居住可能な住宅「生活モニタリング住戸」が2022年11月に東京都北区赤羽台に完成した。

本セッションでは、この住戸のコンセプトを中心にOpen Smart UR 研究会の取り組みが紹介された。

DX時代へ向けたINIADのリスキリング・プログラム

2022年12月9日(金)10:30~12:00 展示会場シアター1
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)
登壇者:本山 智之(三井住友海上火災保険株式会社 執行役員 ビジネスデザイン部長)
別所 正博(INIAD(東洋大学情報連携学部)准教授)

INIAD(東洋大学情報連携学部)は、2017年4月の開設以降、学部教育と並行してデジタル技術のリスキリングを行うリカレント教育プログラムを多数実施してきた。現在では、1学年と同規模となる毎年300名以上の社会人がINIADのプログラムを修了している。

本セッションでは、INIADのリカレント教育の内容と、実際に受講生を派遣している民間企業の取り組みを紹介し、DX時代に求められる教育のあり方について議論が交わされた。

TRONイネーブルウェアシンポジウム
TEPS 35th ロボット技術×次世代光ネットワークで障碍者を支援する

2022年11月26日(土)13:30~16:30 INIADホール(東洋大学 赤羽台キャンパス)/オンライン同時開催
基調講演:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、TRONイネーブルウェア研究会会長)
講演:松田 和香(国土交通省 総合政策局総務課 政策企画官(併)政策統括官付)
青野 裕司(NTT人間情報研究所 サイバネティックス研究プロジェクト プロジェクト・マネージャ 主席研究員)
池田 円(日本電信電話株式会社(NTT)総務部門 ダイバーシティ推進室 室長)

坂村健教授が会長を務める「TRONイネーブルウェア研究会」では、1987 以来、コンピュータ技術を使って障碍者を助けることをテーマとした「TRONイネーブルウェアシンポジウム(TEPS)」を毎年開催し、障碍者とコンピュータ技術との関わりの議論や制度設計に対する提言などを行ってきた。

35回目のTRONイネーブルウェアシンポジウム(TEPS)は、2022 TRON Symposiumに先立ち、2022年11月26日にINIADホールの会場とオンラインでのハイブリッドで開催された。テーマを「ロボット技術×次世代光ネットワークで障碍者を支援する」とし、講演とパネルセッションが行われた。

坂村教授の基調講演では、「ロボット×ネットワークで可能になる職場」と題して、国土交通省が実施した自動走行ロボットの実証実験、IOWN(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)を応用したロボット遠隔操作の技術を紹介。そして、障碍者雇用の一環として障碍者が遠隔で操作する分身ロボットの導入など、障碍者を助ける取り組みが紹介された。

国土交通省の松田和香氏からは歩行空間における移動支援の普及と高度化に向けたDXの推進について、NTT人間情報研究所の青野裕司氏からはIOWN構想によって実現可能になる身体遠隔化技術による遠隔ロボット操作の技術と遠隔看護の可能性について、NTTの池田円氏からは企業における障碍者活躍推進と遠隔操作型分身ロボットの活用について、概要と展望が語られた。

パネルセッションでは、ロボットやネットワークの技術、法制度、会社での障碍者支援の体制など幅広いテーマが議論された。

ロボットと人間が共生するバリアフリーな社会
歩行空間ネットワークデータを用いた自動走行ロボットの走行実証

2022年11月26日(土)9:00~12:00
東洋大学 赤羽台キャンパス
坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、ICTを活用した歩行者移動支援の普及促進検討委員会 委員長)

2022年11月26日に、東洋大学赤羽台キャンパスで「歩行空間ネットワークデータを用いた自動走行ロボットの走行実証」のプレス発表が行われ、国土交通省の「ICTを活用した歩行者移動支援の普及促進検討委員会」の委員長を務める坂村健教授が講演を行った。

国土交通省では、ユニバーサル社会の構築に向けてバリアフリー情報を「歩行空間ネットワークデータ」としてオープンデータ化し、さまざまな分野で利活用できるような環境整備を推進している。近年、物流業界の省力化・省人化への対応や感染症予防の観点から、自動走行ロボットによる配送ニーズが急増している。そこで、自動走行ロボットの走行に必要不可欠な段差や急勾配等のバリア情報も「歩行空間ネットワークデータ」が取り扱っていることに着目し、ロボットが経路検索を行ったうえで自動走行する実証を行っている。

本実証実験では、自動走行ロボットの制御に歩行空間ネットワークデータを活用し、ロボットが移動しやすい――段差や勾配などのバリアがなく混雑していないルートを選択して移動する。坂村教授は、赤羽駅前のコンビニエンスストアで注文品を積み込んだ自動走行ロボットが、段差がない混雑エリアを回避したルートを選択し、赤信号が青になるまで待ったり、エレベーターを呼び出して乗り込んだりなどして団地に荷物を届ける模様を紹介した。

大和ハウス工業 スマートロジスティクス オープンデータチャレンジ

2022年12月9日(金)15:00~16:30
2022 TRON Symposium 展示会場シアター1
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)
登壇者:手塚 公英(大和ハウス工業株式会社 東京本社 建築事業本部 営業統括部 Dプロジェクト推進室長)
南雲 秀明(株式会社日立物流 営業統括本部 DX戦略本部 スマート&セーフティソリューションビジネス部長)
秋葉 淳一(株式会社フレームワークス 代表取締役社長 CEO)

大和ハウスグループでは物流センターの実在データを利用し、物流ロボットを最適に動かすプログラムを競うコンテストを実施してきた。

今回は、日立物流の協力で安全運行管理ソリューション「SSCV-Safety」のトラック運転手のバイタルデータやドラレコデータをオープンデータ化し、その有効利用を競うコンテストを開催する。

2022 TRON Symposiumにおいて、坂村健教授から本コンテストの概要が発表されたほか、コンテストを主催する大和ハウス工業株式会社と特別協力の株式会社日立物流および株式会社フレームワークスにより、輸送業界が直面しているさまざまな課題と今後の展望について語られた。

TIVAC Information:組込みシステム業界のセキュリティ意識

IoTシステムの広がりに伴い組込みシステムのセキュリティが重要だという業界の意識が高まっている。そこで、セキュリティ機関、ツールベンダー、RTOSベンダーなどの間の意識に齟齬がないかを簡単にサーベイしてみた。すなわちTIVACで検討しているトピックや方向性が他と共有されているかの確認である。チェックしたのは英語で読める資料、ウェブサイトを公開している海外の機関や会社が中心である。

結論としてはTIVACの方向性は他と共通しているようだ。本稿ではその中から、「Protecting Embedded Systems 101」と「Ultimate Guide to Embedded Systems Security」という二つの情報を紹介した。そのほかの参考文献については、トロンフォーラム会員が閲覧できるTIVACのウェブページで説明する予定だ。

From the Project Leader
プロジェクトリーダから

本号は2022 TRON Symposium―TRONSHOW―の総まとめ号となっている。未だコロナ禍が落ち着かない状況ではあるが、おかげさまで2022年12月にはTRONSHOWをリアルとオンラインのハイブリッドで開催することができた。会場には多くの方に来場していただき、またオンラインでもたくさんの方に配信を見ていただき、とても感謝している。

今回のテーマは「ネクスト・インフラ」。NTTを中心として設立された国際フォーラム「IOWN Global Forum」にも協力してもらい、光関連技術を活用して低消費電力、大容量、低遅延を実現する次世代のネットワーク構想「IOWN」(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)について大きく取り上げた。2023年3月からは、まず200分の1のレイテンシ(遅延)を達成し大容量データを低遅延で伝送できる「IOWN1.0」の商用サービスが開始される。こうした技術は遠隔手術やeスポーツなど、さまざまな場面での応用が期待されている。

また、公共交通オープンデータ協議会(ODPT)は、NPO「MobilityData」と戦略的パートナーシップのMOUを締結することとなり、TRONSHOW会場にて調印式を行った。MobilityDataは公共交通データフォーマットの標準化に取り組んでいる国際的な団体であり、GTFSやGBFSなどのデータフォーマットの標準化を行っている。Googleもそのデータを標準で採用しているなど、影響力の大きい団体だ。近年のODPTの活動は東京近郊にとどまらず全国に広がり始めており、地方の活性化にもつながっている。MobilityDataとの連携によって、ODPTが提供する公共交通のデータがさらに広く活用されることになるだろう。

今回のTRONSHOWでは、私が最近進めている重要なプロジェクトについて、すべてセッションを設けることができた。特集では講演やディスカッションの様子を詳しく紹介しているので、シンポジウムに参加できなかった方もぜひご一読いただきたい。

* * *

2023年1月6日に、私が受賞した2023 IEEE Masaru Ibuka Consumer Technology Award(参考訳「IEEE井深大コンシューマー・テクノロジー賞」)の授賞式が米国で行われた。

残念ながら授賞式にはオンラインでの参加となったが、TRONプロジェクトを通じてリアルタイムOSの仕様、実装を無料で公開してきた活動に対してこうした賞をいただけたことは誠に光栄なことである。長年TRONプロジェクトを支援してくださっている皆様には、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。

坂村 健

編集後記特別編

始めに言葉ありき…

ジェネレーティブAI

2022年7月以降のジェネレーティブ(生成系)AIの進歩は目まぐるしい。正確に言えば、誰もが触れられるサービスの公開が連続したから目につくようになっただけで研究は以前から進んでいた。しかしこの時期から、とにかく有料・無料の作画AIサービスがいくつも公開されて話題になり、オープンになったコードや学習モデルをもとに、新しいAIやサービスがどんどん生まれている。

特に今注目されているのが、作画AIに続く対話AIだ。去年11月末に米国のOpenAIという非営利研究所から公開された「ChatGPT」は、その自然な会話能力がネットの中で大きな話題になっている。何か国語もこなし、ブラウザ経由で対話できるので、すでに100万人以上が登録し面白がって試している。

実は対話AIは以前からあったが、しばらく対話すれば底の浅さがわかったものだ。それが、ChatGPTは大学レベルのレポートを書かせたら上位何%で合格とか、コンピュータ関係も強いのでプログラミングの課題を解かせたり、ソフトサービスのベンダー資格テストをクリアしたり──ネットではいろいろ試した結果が話題で、大学人としては学生の不正利用対策を真剣に考えざるを得なくなっている。

また、以前の対話AIはネットの中の偏見やヘイトなどを学んでしまい「〇〇社のAIは人種差別を容認した」など物議を醸して慌てて閉鎖するような騒動もよくあった。それがChatGPTでは「表現の自由とヘイトスピーチの関係」のようにセンシティブな質問をしても、高い道徳律で返答してくれる。さらに驚いたのは「偏見を持った側の立場でディベートしてくれ」というと「これは本来良くないが、もしその立場ならこうで、それに対する反論はこうだ」というような答えをする。

大規模言語モデル

ChatGPTは「大規模言語モデル」というタイプのニューラルネットワークモデルだ。基本的な機能は、文章を与えると膨大な学習をもとに、それに自然に続きうる単語を確率付きで示してくれるというものだ。人が文章を書いているときも、実はそこまで書いた文からの経験に基づく連想で次々と書き続けているが、そのイメージだ。

OpenAIが、研究者向けに公開した大規模言語モデルの「GPT-3」は、インターネットからとにかく力技で収集した45TBもの膨大なテキストデータで学習した96層からなる1,750億個のパラメータのモデル──学習段階のクラウド計算のコストが5億円と言われている。ChatGPTは、その進化系のGPT-3.5ベースというから、GPT-3以上の「大規模」言語モデルということなのだろう。

実は先の作画AIも基盤にあるのはこの大規模言語モデル。これによって言葉によるあいまいな指示を解釈して絵にしてくれている。ほかにも翻訳やプログラミングは当然として、言葉から音楽を作ったり、動画を作ったり、ロボットの動作を設計したり、大規模言語モデルによるさまざまな分野の生成系AIが、どんどん開発されている。

ロボットの動作決定など、まさに前世紀のAI研究の最大の難問とされた「フレーム問題」そのもの。複雑な実環境に絡むさまざまな要素や影響を想定すると「考えすぎてしまって、ロボットが行動を決定できず立ちすくんでしまう」という例がフレーム問題の説明でよく出てきた。それが大規模言語モデルによりクリアされたということは、言葉という抽象化が、いかに人間の知能にとって本質的かを示していると思う。まさに「始めに言葉ありき」──言語が汎用AIへの突破口になろうとしている。

直感だけの感覚モンスター

コンピュータ関係者として、生きているうちにこのレベルの対話AIとチャットで気軽に対話できる時代になるとは感無量だが……一方で、いざ実現すると「なんか拍子抜け」という感じでもある。

実はこのChatGPT君、けっこう間違える。単純な掛け算も間違えるし、歴史の年号など調べないといけない正確な数字などをいい加減な知識で答えたりもする。とはいえ多くの場合は正しいし、間違えても一見もっともらしいからタチが悪い。SFなどで描かれた「ミスをしない冷徹で神の如きAI」という感じではないのだ。

確かに博覧強記だが「それぐらい検索して確かめろよ」というようなことも、自信たっぷりに思い込みで答えたりする、そういう「知ったかぶり君」だと思って相手したほうがいいくらいだ。

「スーツとハンカチを買いました。合計で11,000円払いました。スーツはハンカチより1万円高かったです。ではそれぞれいくらでしょう」という問題に、ChatGPTは自信たっぷりに「スーツが1万円で、ハンカチが千円」と答える。これは、人間でも多くの人が不注意で間違える問題で、直感で答えるとこうなるという良い例だ。その意味で、結局ChatGPTは「直感だけ」で答えているといえる。ニューラルネットワークが主流になる前は、SFでもなんでも人工知能はコンピュータだから「論理モンスター」というのが共通認識だったが、実際登場したら「直感だけの感覚モンスター」だったわけだ。逆に考えると、単なる連想と直感だけで十分知的に応答できるわけで、人間の知能というのが特に崇高なものではなく、単純だが大量の統計処理の塊でしかないのではないかという真実を突きつけられた感じがして、なんとも言えない気持ちになる。

つまりは、人間並のAIはまさに「人間並み」な欠点も引き継ぐわけで、今は、ChatGPTを実務に使うなら使う側にもそれなりの教養が求められる。

堕落か共生か

とはいえ、それらの問題が過去のものになる日も遠くない。ChatGPTを通して、数学で有名なWolframAlphaを使えるようにして、数学の問題を解かせるなど、対話AIに──いわば検索エンジンや電卓を使わせるための研究が始まっている。人間が直感で答えを出した後「あれ?コレだと差額が9,000円になっちゃう」と思って、改めてちゃんと計算し直して正解にたどり着く──そういう熟慮の機構をAIにも持たせようというわけだ。

日本の「AI専門家」が、したり顔で「AIには東大入試が解けない」などと言っていたことはとっくに過去だ。問題はAIの不出来ではなく、いつかできるようになるのが見えてきたということ。より高度なAIが誰でも──子供でも使えるようになったらどうなるか。AIが人間を支配するというような手垢のついた話でない。AIが人間と最後まで異なるのは、無私無欲なこと。ほとんど間違えなくなって、一生懸命答えようとしてくれる対話型AIが一人一人のコンパニオンになったら、判断も知識もAIに委ねる誘惑に逆らうのは難しい。人事評価もAIとコンビでの能力──どれだけうまくAIを頼れるかで行われるようになるかもしれない。

真核生物は外部の生物であるミトコンドリアを取り込んで、より多いエネルギーが使えるようになった。そのとき勝ったのは真核生物側かミトコンドリアか。映画『ターミネーター』のように、支配する気で敵対してくれるAIのほうがはるかにタチがいいと思うことになりそうだ。

マイナンバーの掛け違い

呪いの番号

2022年11月、読売新聞の『マイナカードの番号隠すケース、配布廃止を検討…番号知られただけでは悪用されないから』という記事には驚かれたかもしれない。

企業でマイナンバーを扱うことになったころ、大騒ぎだったのを覚えている人は多いと思う。マイナンバー専用封筒だの専用金庫だのを急遽取り寄せ、はては「取り扱い講習を受けた人でないと、この線から入ってはダメ!」とか「マイナンバーを見せられたら大変なことになるから、こっちに見せないでくれ!」とか。まるで「見ただけで石になる呪いの番号」のような扱いだった。それが「番号知られただけでは悪用されないから隠さないでいいですよ」では「あの労力と気苦労は何だったのか!」となってもおかしくない。

最近の健康保険証をマイナンバーカードに統合する話も、カードを持ち出したらマイナンバーを知られる可能性が増えるのに──なんとチグハグな政策だと怒っている人もいるのは当然だ。

最初に隠しすぎたのが…

なんでこんなことになったかというと、簡潔に言えば「ボタンの掛け違い」だ。マイナンバーの前身ともいえる住民基本台帳の住民票コードで反対運動が盛り上がり、「牛は10桁、人は11桁」といった情緒的反発で──今で言うと「炎上」してしまった。これを教訓として、政府はマイナンバーでは当初から限定列挙方式で厳密に利用目的を縛り、使えるのは税務と一部の申請手続きのみとした。さらにマイナンバーを他の目的に使わない──使わせないという態度の徹底のアピールとして、本人に見せる書類すらマイナンバーを消すような、今からすると過剰とも言えるような運用が行政で行われた。

日本の民間も「やっていいとされたこと以外をやるのは犯罪になる」というような大陸法方式の法運用に慣らされているから、最大限慎重に運用すればお咎めはないだろうと内規を定め、そこに「マイナンバー運用指南」をビジネスにする人たちも危機感を煽った。

IDはパスワードではない

では実際はどうかというと、マイナンバーは、いわば行政というサービスを使うためのIDであってパスワードではない。多くのネットサービスではIDにメールアドレスが使われているが、メールアドレスは人に知らせるのが大前提。秘匿すべきものでないのが当然だ。

マイナンバーがない時代、行政は国民を特定するためのIDとして住所と名前と生年月日の組み合わせを使ってきた。その三つの組み合わせが同一の人はまずいないからだ。しかし住所の表記には結構ゆらぎがあるし、名前の漢字表記も誤字で記載されていることも多い。そのIDとしての不完全さの結果が、2007年に発覚し未だに完全に解決していないといわれる年金記録不備問題だ。

どんなネットサービスでも基本はアカウントの作成であり、そこには個人を特定するIDが欠かせない。世界の多くの国では行政効率化のため国民IDも一般的だ。しかも日本のマイナンバーは、最もプライバシーに配慮したオーストリアの国民番号を参考にした「セクトラルモデル」。行政目的ごとにシステムは別のIDを使っていて、それとマイナンバーの紐づけには多くの規制がかかっていて、米国の刑事ドラマのように番号一つで全部の個人情報を集めるようなことはできないようになっている。

また民間も含めた応用の多角化のために、マイナンバーの保証の下で別のIDを発行するための機構も用意されていて、マイナンバーカードを使っていても直接マイナンバーを使わずに済むようになっている。国際的に見ても後発の有利を生かしてプライバシー保護と応用可能性を両立した比較的よく考えられた設計だ。

行政DXの基盤として

米国や韓国やスウェーデンのようにすべてのシステムで同じIDを使う──プライバシー面で日本よりはるかにルーズだが、その分技術的には楽な「フラットモデル」の国民IDを採用している国も多い。それらの国を全体主義の恐怖国家という人はいないだろうし、それらの国民も普通に暮らしている。問題は「技術より制度」というより、もはや「情緒」の問題になっている。それが最初に「ボタンの掛け違い」と書いた理由だ。

少子高齢化する日本で、行政サービスの質を下げずに行政コストを下げるには、効率化のためにIDが不可欠。公務員が税金を使いすぎると言うなら、まず削減すべきは、IDがないことによる不効率だろう。

マイナンバーとマイナンバーカードは、進めるべき行政DX──さらには社会全体のDXにとって欠かせない存在だ。普及まで時間をかけすぎて、マイナンバーカードも今や古い技術になってしまい、技術的にはさらに進んだ方法も考えられる。ただ、今後のアップデートの方向としてスマートフォンとの統合も考えられており、日本はよくやってるほうだと思う。

すでにここまできているものを捨ててやり直すほど、ほかに良い方法があるわけではないし、なにより今の日本にそんな余裕はない。一時の不具合があったとしても「変わる」しかない。昔と同じやり方では衰退は止められないという日本の現状から目を反らしてはいけない。

坂村 健

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