TRONWARE|Personal Media Corporation

TRON & IoT技術情報マガジン

TRONWARE Vol.197

TRONWARE Vol.197

ISBN 978-4-89362-363-8
A4変型判 並製/PDF版電子書籍(PDF版)
2022年10月15日 発売


ET & IoT West 2022 基調講演 Rebooting ―ネットワーク時代の組込みシステム―

一般社団法人 組込みシステム技術協会が主催するET & IoT West 2022が2022年7月28日、29日の2日間にかけて、グランフロント大阪コングレコンベンションセンターで開催され、7月28日には、坂村健教授が「ネットワーク時代の組込みシステム」と題して基調講演を行った。

ICT応用としての「メタバース」の解説からはじまり、メタバースやデジタルツインの実現のために欠かせない、大容量・低遅延・低消費電力の高品質なネットワーク構想として期待されているIOWN(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)や、組込みシステムやIoTを都市機能や生活空間に活かすための応用である「ビルOS」について紹介した。

IOWNは、オールフォトニクス・ネットワーク(APN)、光ディスアグリゲーテッドコンピューティング、コグニティブ・ファウンデーションという三つの主要な技術分野から構成されている。IOWNによって、現在の電子ベースでの技術では困難なレベルの圧倒的な低消費電力(100倍の電力効率)、高品質かつ大容量(125倍の伝送容量)、低遅延(エンドツーエンドで200分の1のレイテンシ)が実現できると言われている。最終的には、重要な応用ターゲットであるデジタルツインコンピューティングの実現を目指している。IOWNはIoTや組込みの分野にも大きく影響する。大容量・低遅延・低消費電力により内部バスの外部化も可能になるため、エッジ側を軽くしてクラウド側のセンターで高度な処理を実現できるので、TRONプロジェクトが提唱する理想のAggregate Computingが可能になる。このたびトロンフォーラムの中にIOWN部会を設立した。こうした応用面の技術開発をオープンアーキテクチャという考え方で進めるために、IOWN Global Forum(IOWN GF)と連携して活動していく。

TRONプロジェクトでは長年、インテリジェントビルの研究にも力を入れてきた。現在は、組込みシステムやIoTを都市機能や生活空間に活かすための応用として、ビルOSや住宅OSの研究を行っている。ビルOSとは、建物内を適切にコントロールするためのスマートビルプラットフォームである。ビルOSの要素は、ビル内の状況読み取り・設備制御ができるAPI群、状況に応じたアクセスコントロール機能、ビル管理に関わるデータを網羅するリポジトリの三つである。ビルOSなどの導入により実環境をリアルタイムに仮想空間に反映できるデジタルツインは、たとえば施工後のビルの管理にもDXをもたらすだろう。

未来の生活環境のDXのための新しい概念による新しいOS――「デジタルツインOS」は、複数の社会的サービスをまたいで首尾一貫した破綻のない統合デジタルツイン環境を構築するためのプラットフォームである。IOWN構想によって、ネットワーク環境が大きく変わろうとしている。今までのやり方にとらわれずに、状況に応じてすばやくやり方を変えることが求められる現代において、情報インフラが大きく変わるタイミングこそ、新しいOSにチャレンジするチャンスである。

特集:次世代光ネットワーク・コンピューティング「IOWN」

IOWN(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)構想とは、光を中心とした革新的技術を活用し、これまでのインフラの限界を超えた高速大容量通信と膨大な計算リソースを提供可能にするネットワークと情報処理基盤の構想である。2024年の仕様確定、2030年の実現を目指して、研究開発が進められている。

IOWN構想を実現するための国際的なフォーラムIOWN Global Forum(IOWN GF)も設立され、今、世界的にも注目が集まっている。

本特集ではIOWN構想の概要と、オールフォトニクス・ネットワーク(APN)、光ディスアグリゲーテッドコンピューティング、コグニティブ・ファウンデーションなど、次世代のネットワークと情報処理基盤を担う最先端技術を解説する。

第1節  次世代ITインフラIOWNと国際協調による開発・普及

IOWN(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)構想とは、光を中心とした革新的技術を活用し、これまでのインフラの限界を超えた高速大容量通信と膨大な計算リソースを提供可能にするネットワークと情報処理基盤の構想である。2024年の仕様確定、2030年の実現を目指して、研究開発が進められている。

IOWN構想を実現するための国際的なフォーラムIOWN Global Forum(IOWN GF)も設立され、今、世界的にも注目が集まっている。

本特集ではIOWN構想の概要と、オールフォトニクス・ネットワーク(APN)、光ディスアグリゲーテッドコンピューティング、コグニティブ・ファウンデーションなど、次世代のネットワークと情報処理基盤を担う最先端技術を解説する。

第2節 IOWNのネットワークとコンピューティングを支える光電融合技術

光電融合技術とは、光回路と電気回路を融合させ、小型・経済化に加え、高速・低消費電力化など、さまざまな性能向上を図るものである。チップレベルでのモノリシック集積に限定せず、複数のチップ(ダイ)を近接実装して性能向上を発揮させることもある。デバイス技術としては、シリコンフォトニクスの進展が大きな牽引力となっている。

シリコンフォトニクスとは、大規模集積回路(LSI)技術によって培われてきた微細加工技術を用い、通信波長帯(1.3~1.5μm)において透明なシリコンを光集積回路のプラットフォームとして活用する技術である。光トランシーバの心臓部となってIOWNのオールフォトニクス・ネットワークを支え、さらには、光ディスアグリゲーテッドコンピュータの実現にも貢献していくことが期待されている。

本節では、光電融合デバイスのロードマップに沿って光電融合デバイス技術を説明する。第一世代はテレコム用中継装置に使われる長距離・メトロ網用のデバイスで、現在はデジタルコヒーレント伝送技術(Coherent)と高密度波長分割多重技術(DWDM)を併用した段階にある。現在は第二世代にあたる。第二世代は、100km程度のデータセンタ間接続への適用に主眼が置かれたもので、近年特に需要が高まっている。ここでもデジタルコヒーレント伝送が求められるが、特徴的なのは、シリコンフォトニクスを採用している点である。

第三世代からは主にデータセンタ内の接続に適用される。伝送距離よりも低消費電力が求められる領域のため、デジタルコヒーレント伝送ではなくIMDD(Intensity Modulation-Direct Detection:強度変調直接検波)伝送方式が採用される。第四世代では、さらに短距離の接続にまで光電融合技術が適用されていく。シリコンフォトニクスを中心とする光電融合技術は、Si基板上薄膜(メンブレン)直接変調LD(レーザダイオード)などの技術により、長年の障壁を崩すポテンシャルを持つと考えている。

第五世代は、近接実装されたチップ間を光配線で接続する時代である。GPUやCPUの世界では、すでにチップレット化(複数のダイに分割する流れ)が始まっているが、それらのダイ間を光接続する。Si基板上薄膜(メンブレン)技術を核として、メンブレン変調器や波長多重技術の集積化等、さまざまな技術が展開されるとみられている。

第3節 オールフォトニクス・ネットワーク(APN)

近年ルータ市場では、物理的なネットワーク・ハードウェア機器から制御プレーン・管理ソフトウェアを分離するSoftware Defined Wide Area Network(SD-WAN)技術が普及し、オペレーションの自動化が進んだ。一方光伝送市場では、光アンプの波長依存性やファイバの波長分散・非線形光学効果などの複雑な物理現象が障壁となり、SD-WANのようなソフトウェアによる自動制御は難しいと考えられてきたが、光伝送技術のデジタル化によって状況は急変した。2010年頃にデジタルコヒーレント光伝送システムの商用導入が始まると、光伝送装置の省スペース・省電力化が加速。2018年頃には、通信キャリアのみでなくクラウドオペレータやケーブル事業者がオープン化活動に参加するようになり、技術の適用領域が広がっている。強度変調直接検波(IMDD)技術においても、この10年の間に10Gbit/sから100Gbit/sに伝送速度が向上するなど目覚ましい進化が見られ、今後はCo-Packaged Optics(CPO)や光タイルなどの微細加工技術の進展によって、データセンタのさらに奥深くまで適用領域が拡大し、より光伝送技術とコンピューティング技術との融合が加速すると考えられる。

本節では、光電融合技術に代表される光通信デバイスのさらなる進展をふまえて、将来のコミュニケーションインフラとしてその実現が期待されるオールフォトニクス・ネットワーク(APN)について解説する。ルータやスイッチをベースとした従来のネットワークとは異なるAPNの特長を中心にAPNのアーキテクチャを説明する。また、分散データセンタや無線ネットワークなどのいくつかのユースケースにおける効果について述べる。

第4節 光ディスアグリゲーテッドコンピューティング

IOWNでは光の技術を活かした新しいサービスの実現を目指しているが、その適用領域はネットワークにとどまらず、コンピュータの領域に対しても期待されるところとなっている。IOWNのサービスの実現を考えるうえでは、ネットワークだけではなく、高性能・高効率なコンピューティング基盤の実現が鍵となってくる。

光電融合デバイスを活用した柔軟なディスアグリゲーテッド構成によるハードウェアの無駄の削減、およびデータ処理効率化によるオーバヘッド削減という、ハードウェア、ソフトウェアの両面から変革を行っていく。これにより、既存のサーバ構成に比べ、高性能・低消費電力なコンピューティング基盤を実現し、IOWNサービスの早期提供を支えていく。

本節ではIOWNにおける強力なコンピューティング基盤の必要性、および光電融合デバイスが次世代のコンピューティングアーキテクチャの変革に対してどのような役割を担っていくのかについて説明する。

第5節 コグニティブ・ファウンデーション

IoT(Internet of Things)時代の要求にこたえるためには、さまざまな技術、アプリケーションやソリューションを提供するICTリソースの配備、構成の最適化といったライフサイクルマネジメントを完全自動化・自律化、そして自己進化する技術の実現が求められている。

IOWNにおいてあらゆるレイヤの異なるICTリソースの配備・設定・構成を全体最適に調和させ、それらを一元的に管理・運用し、必要な情報をネットワーク内に流通させることが可能な機能として、コグニティブ・ファウンデーション(Cognitive Foundation)の実現に取り組んでいる。

ICTリソースのライフサイクルマネジメントは、継続かつ複雑化する傾向にあり、社会システムを提供するプラットフォーマーやサービスプロバイダーがアプリケーションやソリューションの開発・提供に注力するうえで、大きな負担となっている。

この社会的課題を解決するため、コグニティブ・ファウンデーションは、マルチドメイン、マルチレイヤ、マルチサービス・ベンダー環境における迅速なICTリソースの配備と構成の最適化、さらには、完全自動化・自律化、そして自己進化することで、プラットフォーマーやサービスプロバイダーが本来のビジネスに注力できるようにする。つまり、コグニティブ・ファウンデーションは、これらの多様なターゲットを、仮想化されたICTリソース群として扱い、マルチオーケストレータ(MO:Multi Orchestrator)を中核に、レイヤの異なる複数のリソースを最適統合する機構である。

第6節 ヒト、モノ、社会のデジタルツインコンピューティング

デジタルツインコンピューティング(DTC:Digital Twin Computing)とは、実空間をデジタル空間に写像した「デジタルツイン」を活用し、人・モノなどのデジタルツインを合成することで多様な仮想社会を構築する。新たな価値を創出する計算パラダイムであり、IOWN構想の主要な構成要素の一つを成すものである。

元々のデジタルツインの概念は、生産機械・航空機エンジン・自動車といった物理的な物体について、その形状・状態・機能などをデジタル空間の中で正確に表現したものであった。DTCではそれを拡張し、①多様なデジタルツインを相互作用させる自由な掛け合わせ、②大規模・高精度・複合的な未来予測、③ヒトの内面・個性をデジタル化したヒトデジタルツインの活用、の三つを実現するコンセプトを提唱している。これによって、世界中のさまざまな社会課題の解決や革新的サービスの創出を通じ、スマート社会の実現を加速できる。

DTC構想の適用領域は、ミクロな空間中の人流・交通流・物流・エネルギー流の掛け合わせから地球規模のデジタル再現まで多岐にわたる。DTCでは幅広い適用領域に向けた研究開発を行っているが、共通するのは大量のデータの収集と高速な計算処理の必要性である。このためにはオールフォトニクス・ネットワークによる高速・低遅延なネットワーク、および光ディスアグリゲーテッドコンピューティングのような分散して大量の計算を高速・高効率に実現できる基盤が不可欠である。

これらのIOWNが提供する通信・計算基盤を活用することで、DTCもその能力を最大限に発揮し、大きな社会課題の解決や画期的な技術的ブレークスルーを実現できると考えられる。DTCは、IOWN構想の一つの構成要素として、IOWNから提供されるこれらインフラ技術を活用し、グランドチャレンジの実現を目指していく。

TIVAC Information:“使い捨て”ネットワーク機器のアプローチ

IoTの組込み機器にはネットワーク機能は不可欠である。今後IoTのアプリケーションフレームワークに従う応用が増えていけば、ネットワーク機能を持つエッジノードが増えていく。本連載ではそうした環境でソフトウェアにセキュリティ問題が発見されたらどう対処するかを議論してきたが、コスト的に可能であれば、ファームウェアをリモートで更新できるしくみを備えておくことが望ましい。

逆に「使い捨て」で機器を交換していくというアプローチを検討してみると、書き換えのできない安価なエッジノードならば使い捨てで機器を交換するというアプローチもありえるが、交換をメーカー側が行うのかユーザ側が行うのかなど、考えなければならない課題は多い。ユーザ側で簡単に置き換えられない場合には、製品コストが高くなるとしてもリモートで安全にファームウェアの更新ができることが望ましい。組込みシステムのライフタイムは長いという特質があるので、それを忘れてはならない。

ネットワーク機器の脆弱性が発生し続けている今の時代では、ファームウェア更新の手段を用意しなくてよいのは、よほどコストが低くて「使い捨て」ができるケースに限られるだろう。

From the Project Leader
プロジェクトリーダから

情報通信システムはアプリケーションからインフラまで日々進化しているが、そのほとんどは細かな進化である。しかし時に大きな変化が訪れることがある。特に、コンピュータの階層構造でいえば下のレイヤー――素子も含むハードウェアでの大きな変化は、革新的な技術の進化に結びつく。本号で特集するIOWN(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)は、NTTが2019年に提唱した、光技術を中心とした次世代の情報ネットワーク構想である。IOWNによって現在の電子をベースとした技術では実現困難な、低消費電力(100倍の電力効率)、大容量・高品質(125倍の伝送容量)、低遅延(エンドツーエンドで200分の1のレイテンシ)が実現できると言われている。電子・電気技術から光技術への移行が実現すれば、昔のコンピュータの進化で言うならば、真空管からトランジスタへ、トランジスタからIC(集積回路)へ、という流れに相当するぐらいのインパクトがあり、まさに大きな変革であることは間違いない。

TRONが得意とするエッジノード側から注目したいのは低遅延である。AIの進展によりエッジノード側での処理の負荷が高まっている。大量のデータを扱うクラウド側での処理スピードが追いつかないため、エッジノードが肥大化して消費電力も上がってしまい、システム全体でみるとアンバランスとなる傾向がみられる。

また、エッジノードを大きくするとセキュリティ問題が深刻になる。エッジノードのシステムがどんどん通常の情報システムに近づいてしまうと、軽くてリアルタイム性に優れたμITRONやμT-Kernelのような組込みOSではなく、LinuxのようなUNIX系のOSが採用されるため、サイバー攻撃を受けるリスクが高まるのだ。

光技術により大容量・低消費電力・低遅延が実現されれば、組込みシステムの内部バスを光のまま外部化してクラウドに直結できる。こうすれば、エッジ側を軽くしてクラウド側のセンターで高度な処理が実現できるようになる。IOWNのような大きな変革は、その上位のレイヤーのOSやアプリケーションにまで影響を及ぼす。メタバース関係への応用はもちろん、今までは考えられなかった新しい応用が生まれることは言うまでもないだろう。

IOWNは、今や世界レベルでの大プロジェクトに成長した。こういう新しい技術がNTTグループを中心とした日本の企業から出てきたことが重要で、TRONプロジェクトとしても、日本発のイノベーティブな技術に対しては積極的に応援したいと考えている。IOWNは本誌読者にとってはあまりなじみがない分野かもしれないが、最近さまざまなところで発表されている話題の技術でもあるので、ぜひ興味をもっていただければと思う。

7月28日には大阪で開催されたET & IoT West 2022にて基調講演を行った。3年ぶりに大阪に足を運び、IOWNも含めた未来の情報インフラがこれからの情報システムにどういう影響を与え、どのような新しい世界を築いていくのかということをお話しした。本誌にも講演内容を採録したのでご覧いただきたい。

本年も12月7日から9日にかけて2022 TRON Symposium ―TRONSHOW― を東京ミッドタウンで開催することになった。今回はIOWNも大きく取り上げる予定である。講演・セッションやブース展示を通じて、最先端の組込みエッジノードの技術や応用技術を余すところなく紹介したいと思っているので、興味のある方はぜひご参加いただければと思う。

坂村 健

編集後記特別編

職人立国 日本とAI

AIに奪われる仕事

「人間の仕事がAIに奪われる」という議論が今ネットで盛んだ。以前よりあったが、ここに来て急激に盛り上がっているきっかけは、誰でも使えて作品のレベルも高い「作画AI」が、ここ2か月ほどで立て続けに公開されたからだ。

最初の7月13日に公開された「Midjourney」は「ゴッホが描いた2050年の春の京都、未来建築と桜のある風景」といった「お題」を英語にしてチャットアプリに打ち込むだけで、それに沿った作画を返してくる。しかもお試し分なら無料。有料コースでも月に数千円から。米国ではすでにMidjourneyで作画した絵が、コンテストで1位入賞して人間の出品者が抗議する事件も起こっている。ちなみに、本誌の表紙もMidjourneyで作画した。顛末は表紙のことばをお読みいただきたい。

次の8月22日に公開された「Stable Diffusion」はソースコードから学習したモデルまでも無償オープンにしたので、既存のお絵描きアプリに組み込んだり、LINEで試せる環境をオープンにしたり、自動翻訳で日本語の「お題」を入力できるようにしたり、アニメ化できるようにしたり──と多くの人の手により、さまざまな進化が爆発的に続いている。

著作権は、基本利用者のもので商用利用も可能。今後、漫画やアニメの背景、映画のコンセプトアートや企業の発表に付けるイラスト、音楽ジャケットなど、低コストですばやく多数の試行ができることを活かせる分野から作画AIの利用は否応なく広がる。その分の人間が得ていた仕事がなくなるのは、どうしても避けられないだろう。

作画AIの進化スピード

当然、反発は多い。「オリジナリティがない」といった感性的反発も多いが、最近は利用が進んで「写実的なくせに6本指の手を平気で出力してくる」とか「全体構成が甘く、部分のよせ集め」といった具体的な弱点の指摘も多い。確かにこれらは作画AIの基礎技術である「拡散モデル」自体の弱点といえば弱点だ。

しかし現在のAIの進化スピードなら、全体構成用AIモデルの下に手専用のAIモデルといったモデル多層化などで、解決もすぐだろうと思わせる。事実、左右の目が不揃いでおかしくなる弱点については、すでに解決用のコードが提示されている。オリジナリティについても、作画と利用者の評価結果が今の早さで溜まっていけば、それ自体を学習データにして人間の標準嗜好モデルを作り、嗜好にマッチしながら新規の「画風」ベクトルを探索させることも可能になるだろう。

とにかく一般公開された7月中頃から美麗で新奇な画像がネットに怒涛のように流れ、欠陥の指摘はすぐ反映、進歩がすぐ目に見える──というネット時代のオープンイノベーションの凄まじい状況が続いている。

少し前までは「コンピュータの論理では人の感性はわからない」などとよく語られていた。コンピュータの専門家でさえ、それに迎合していた時期もあった。それが思っていたのと逆で「クリエイティブが得意なのはAIで、大多数の人間には単純作業しか残らないのでは」と急に突きつけられたわけだ。作画AI技術の進歩を以前からウォッチしていた一部の人を除き、ほとんどの絵画やイラストのプロの方々にとっては、落ち着いて対応を考える余裕もない激動の数週間だったことは同情に余りある。

AIはデータハングリー

近年ブレークスルーしたニューラルネットワーク系のAIは、むしろ「論理なしに感性だけの存在」だ。作画AIもたとえば人体の骨格を理解していなくても、古今東西の絵画や写真から得たパターンを元に、乱数発生したモヤモヤの拡散ノイズから「お題」のテキストのベクトルに誘導されて人体を幻視し、それを部分ごとに徐々に細緻化している。幽霊に見えると言われると天井の木目が幽霊に見えてくるようなもので、そういう原理で「人の指は5本」という知識もなしに手を幻視するから6本指も気にしないわけだ。

とはいえ音楽が好きでたくさん聴いていたというだけで、音楽理論も知らず楽譜が書けなくても鼻歌で優れた作曲をする人もいる。理論が固定観念になっているクリエイターよりオリジナリティがあると評価されることもある。

とにかく最新のAIの訓練にはデータは多ければ多いほうがいい。ということで「AIはデータハングリー」などと言われる。作画AIも研究用の公開画像データセットだけでなく、インターネットの中から絵や写真といった画像とその解説文のペアをさらってきて、数十億という大量の学習データにして訓練していると言われている。

AI学習の著作権問題

そういうことがわかってくると作画AIに対する反発から「私の作品はAI学習に使わないで」という宣言をする作家も当然出てくる。長年かけて磨いてきた自分の画風や作画テクニックを、大量の学習データの一部として学んだAIが数分で再現するというのが、とにかく「許せない」という感情には深く共感する。

しかし残念ながら、この件については法的には決着している。AI学習のためのデータ利用には著作権問題は発生しない。だから「AI学習拒否」と書いていても、ネットに公開した時点で、学習利用を法的に訴えることは不可能だ。

そもそもアイデアやタッチや画風は対象外というのが以前からの著作権の大前提。人間の作家も大量の先人の作品を模写などして学習し力をつけているのだから、それらを否定したら文化の進歩は止まってしまうからだ。

完全コピーレベルのパクリは違法だが、AIが学習した結果の作画は「お題」は同じでも、元になる拡散ノイズが違うことで細部含めて毎回新作になる。「ゴッホ風」と「お題」に含めて「ゴッホの未発表の新作」として売りつけるのは当然犯罪だが、それはAI利用かどうかには関係なく単なる贋作による詐欺罪で裁くべき問題だ。

実は、検索エンジンからデジタルオーディオまで、最初の技術開発では日本はトップを走っていた。それが著作権に過度に配慮したためにビジネス化で世界に大きく遅れ、今や一時言われていた「電子立国 日本」が跡形もなくなったという苦い経験がある。その失敗を次世代ビジネスの最先端のAIで繰り返さないようにということで、すでに法整備されているわけだ。

また、この考え方が世界標準なので、インターネットに国境も税関もない以上、日本で「AI学習に使わせない」宣言を重視しても、他の国がネット経由でデータを読むことで海外のAIの学習に使われるのは止められない。結局日本スタイルの作画まで他国のAIの得意分野になって、日本発のAIが見捨てられることになるというのが世界の現実だ。

「電子立国」から「職人立国」へ

電子立国 日本」の退潮が明らかになったとき、仲のいい台湾の人に「これから日本はどこへ向かうのですか」と心配されたことがある。そのときの私の答えは、「欧州が成熟して職人仕事で付加価値の高いブランド国家になったように、職人立国 日本を目指しますよ」という自虐も含めた開き直りだった。

問題は、作画AIが人間の職を奪うという流れは、クリエイティブというより職人の存在意義に関わるということだ。人が頭の中で想像したクリエイティブを「お題」にして、そこから作画のワザを使い現世に具現するのを人間に代わり行うのが作画AI。絵の世界では、その両方を一人の人間でやっていることが多いが、漫画やさらにはアニメのように、一作品に求められる作画量が多い分野では分業が普通。そのときのプロデューサーやディレクターに当たる職種の人はいいとして、その指示で作画する職人的職種のほうから、コストと時間の関係で今後どんどんAIに置き換わっていくだろう。

写真技術が確立し、リアルを忠実に映し取る職人画家の需要は減り皆廃業した。作画AIは「お題」を簡単にすればするほど、AIが自由に発想の部分まで含めやってくれるから、写真技術より影響はさらに大きい。作画AIが進歩すれば、そのうち自分の頭の中の夢想がそのまま絵になるような感じで、すべての人が自分だけのツボに入った唯一無二の絵を得られる時代になる──というのは、消費者にとっては夢のようでも、クリエイターにとってはたまらない。

それでも、ときどき紹介されるように、色鉛筆で写真と見紛う絵を描く人にも高い評価があるように、人間が作ったというストーリー的需要は残る。さらに、ネットを見ていると作画AIを否定するのではなく、AIにアイデアをどんどん出させてそこからインスピレーションを得るとか、背景の単純な書き込み部分を分担させるとか、どう適切な「お題」で欲求を伝え作画AIを使いこなすかなど、さまざまな試行錯誤を始めているプロのクリエイターも多い。将棋や囲碁で、人間がAIに勝てなくなっても、将棋や囲碁自体が廃れることはなかったし、むしろ藤井聡太五冠などのように、いつでも何回でもできるAIとの対局をトレーニングに活かす若手のプロが普通になり、新たな手も生まれて将棋界は活性化している。

その意味ではAIは「職人国家」日本への脅威ではないし、むしろ日本発の学習データで日本の職人AIが世界を席巻するきっかけになるという楽観的な意見もある。確かに「理屈じゃねぇ。ワザってぇのは、師匠の背中を見て覚えるもんだ」的な日本的職人感に最新のAIはむしろ相性がいいという考え方もある。そして、一度優秀なAIが訓練できれば、それを需要に応じて増やすのは、弟子と比べ遥かに簡単だ。

職人立国 日本のために

とにかく「AIと職」の問題については現在の職については確実に減るという労働市場的観点と、培ったワザに対する職人の誇りとそれへの尊敬という感情的観点と、世界の中での日本のAI技術という観点と、AIを利用することでさまざまな分野でコストと時間を削減できることによる経済効果という観点と、いろいろな問題がごっちゃになっている。これを分けて考えないといけない。

その意味で、法的には大勢は決まっているとは言え、職人への評価とリスペクトはあってしかるべきだし、今後作画に続く多くの職人ワザのAI伝承のときに、不必要な感情的反発を受けないためにもそのしくみが必要だ。具体的には、AIの「お題」になった職人のランキングで表彰する制度など工夫のしどころだ。

また、より心配しているのは、すでに地位を確立したプロではなく職人立国・日本のこれからに大きく関わる若手職人の修行期間をどう維持するかということだ。

日本のアニメはコンテンツ分野で高い国際競争力を持つ分野であり、同時にAIで大きな影響を受ける分野だ。作画AIが進歩すれば、アニメの着色や中割は当然として、コンテから原画などの職種はどんどんAIに移行していくだろう。

アニメのトップクリエイターの多くにとって、自分の夢想するアニメが、頭の中からすぐ実物になり、いろいろなチャレンジができれば、それは理想だろう。しかし、今をときめく庵野秀明監督でも下積み仕事の収入で業界に食らいついていた時代があったという。いくらクリエーションはセンスだといっても、下積み時代は精度の高いクリエーションの基礎となる。AIは、そういう未来の大作家のための下積みの居場所をなくしてしまう。

翻訳の分野ではすでに、翻訳の大家は下訳をAIにやらせることが増えているという。漫画の世界のアシスタントの職もすでに3DCGバンクの利用が始まっているが、今後はさらにAIがこなすようになっていくだろう。

未来のトッププロの養成のために、その裾野として多くの下積みの生活を保証するというのは、芸能事務所と似たようなモデル。それを社会全体として維持するためにどうしたらいいか。「電子立国 日本」の座を降りて「職人立国 日本」に移行するならその問題は避けて通れない。AIの生んだ歴史上例のない状況に今後突入する。ベーシックインカムを含め、さまざまな──歴史上例のない社会への対応が必要となるだろう。

坂村 健

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