TRONWARE Vol.187
ISBN 978-4-89362-353-9
A4変型判 並製/PDF版電子書籍(PDF版)
2021年2月15日発売
特集 2020 TRON Symposium「ニューノーマル」
TRON プロジェクトの1年の総決算であるTRON Symposiumが2020年12月9日から3日間にわたって開催された。コロナ対策と経済の両立を見据え、会場では入念な感染症対策を行ったうえで、リアルとバーチャルのハイブリッド開催となった。シアターで開催されたすべての講演・セッションはオンラインで同時配信され、出展者展示の様子もオンラインで配信された。
今回のテーマは「ニューノーマル」。展示会場では企業、政府、国内外の研究機関により、多彩な事例の紹介や最新技術のデモンストレーションが行われた。特に「非接触」や「三密回避」などのコロナ対策を支援する各種センサー技術やソリューションが注目を集めていた。
坂村健プロジェクトリーダーによる基調講演では、コロナ禍で社会のDX(デジタルトランスフォーメーション)化が一気に進むことに期待を込め、さらにデジタルツインや電子国土を実現するための基盤技術であるuIDアーキテクチャに関して、解説と今後の展望が語られた。
講演・セッションでは、Withコロナ時代でのDX実現の鍵となるIoTやICT技術を用いた数々の事例や展望が報告された。各講演・セッションの概要はTRON Symposium公式サイトの「講演・セッションスケジュール」(https://www.tron.org/tronshow/2020/regist/schedule/?lang=ja)で確認できるほか、TRONWARE VOL.187では全講演・セッションの報告記事を掲載している。
基調講演「ニューノーマル」
2020年12月9日(水)10:30~12:00 展示会場シアター
坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長)
坂村教授は、コロナ禍が収まっても人々の感染症へのリスク意識は常態化しするため、古い正常には戻らずにニューノーマル――新しい正常が始まると述べ、すでにコロナ禍をきっかけとしてオンライン化やデジタル化など社会のDXが一挙に進んでいることを取り上げた。そして、情報通信技術の分野からの視点で、「非接触」や「三密回避」といったコロナ対策の技術はバリアフリー対策にも活用できると説く。環境計測センサーや動体認識カメラなどのIoT技術を組み合わせて得られるたくさんの情報をもとに、人間の生活空間の状況を的確に認識できるようになれば、最終的には適切な判断が自動的に行われるという。
TRONプロジェクトは長年クラウド側とエッジ側の両方から状況認識に関する研究を進めてきたが、認識の基本である識別すなわちID(IDentification)のために考案された技術がuIDアーキテクチャである。坂村教授はucodeをはじめとしたuIDアーキテクチャの要素技術と、デジタルツインや電子国土を実現するための応用技術について解説した。現在はuIDを国内だけでなく海外展開するための組織作りが進んでいる。
最後に2020年のTRONプロジェクトの活動を本シンポジウムの講演や展示内容とあわせて紹介し、リアルとバーチャルのハイブリッド開催となった37回目のTRONSHOWへと誘った。
Open Smart URセッション「スマートホームからスマートシティへ」
2020年12月9日(水)13:30~14:30 展示会場シアター
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長)
登壇者:尾神 充倫(独立行政法人都市再生機構 本社 技術・コスト管理部 担当部長)
桑原 太刀男(独立行政法人都市再生機構 技術・コスト管理部 設計課長)
IoTやAIなどICT技術の普及を前提とした団地の未来像を探るOpen Smart UR研究会。ICTや建築や住宅部品・設備関連の企業だけでなく、保険や警備、インフラ、交通などのサービス企業を含めた63社の参加でスタートした研究会は「少し先の未来の住まい方ビジョン」に向けて検討を続けている。本セッションでは独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の尾神充倫氏と桑原太刀男氏をゲストに迎え、同研究会のコンセプト、活動内容、生活サービス連携のためのハウジングOSの確立などの目標について紹介した。
ニューノーマルにおける公共交通オープンデータ
2020年12月10日(木)10:30~12:00 展示会場シアター1
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長)
登壇者:ユスティナ・シフィオントコフスカ(グーグル合同会社 グローバル・プロダクト・パートナーシップ本部(GEO)戦略パートナー開拓マネジャー)
佐藤 勲(東日本旅客鉄道株式会社 技術イノベーション推進本部 ITストラテジー部門 部長)
多数の公共交通事業者とデータ利用者とを結ぶデータ連携プラットフォームとなることを目指す公共交通オープンデータ協議会。2019年に公共交通オープンデータセンターを立ち上げ、さまざまなICT事業者がセンターから提供されたデータを利用して各種リアルタイムサービス等を公開している。本セッションでは東日本旅客鉄道株式会社の佐藤勲氏に加え、Googleのユスティナ・シフィオントコフスカ氏をリモート出演で迎え、データプラットフォームの最新状況や、交通事業者およびICT事業者の状況、ニューノーマルを見据えた今後の取り組みや展望などに関して議論が交わされた。
ビルOSとアプリケーション──柔軟性がニューノーマル時代を商機に変える
2020年12月10日(木)13:00~14:00 展示会場シアター1
コーディネータ:諸隈 立志(ユーシーテクノロジ株式会社 代表取締役)
登壇者:岩村 集(野村不動産株式会社 都市開発事業本部 企画室 ICT推進一課)
TRONプロジェクトで提唱しているスマートビル構築の原理は、多種多様な設備機器をクラウド上のプラットフォームから統一的に制御し、環境や人の動きなどのセンサー情報などをそのプラットフォームに集めることにより、ビル全体を効率よく快適に制御することだ。これをITのOSになぞらえ「ビルOS」とよぶ。本セッションではビルOSを採用したテナントオフィスH¹Oシリーズを展開している野村不動産株式会社から岩村集氏が登壇。サービスアプリケーションを進化させていくうえでビルOSの考え方がどのように活用できるのか事例を交えて解説した。
IoTエッジノード向け世界標準リアルタイムOS μT-Kernel 3.0
2020年12月10日(木)10:15~11:45 展示会場シアター2
コーディネータ:松為 彰(トロンフォーラム T3WG 座長代理/パーソナルメディア株式会社 代表取締役社長)
登壇者:豊山 祐一(INIAD(東洋大学 情報連携学部)特任研究員/株式会社 日立ソリューションズ・テクノロジー)
廣里 暢盛(東芝デバイスソリューション株式会社 システムソリューション統括部 システムソリューション技術部 システムソリューション技術第二担当 グループ長)
根本 敬継(明光電子株式会社 取締役 営業促進部 部長)
原 文雄(STマイクロエレクトロニクス株式会社 マイクロコントローラ&デジタル製品グループ マイクロコントローラ製品技術部 部長)
犬尾 武(シマフジ電機株式会社 代表取締役社長/CEO)
山田 浩之(ユーシーテクノロジ株式会社 エンベデッド事業部 営業部 部長)
IEEE(米国電気電子学会)の定めるIoTエッジノード向け世界標準OSの仕様「IEEE 2050-2018」に完全準拠した、TRONの最新版リアルタイムOS「μT-Kernel 3.0」。さまざまなマイコンに対応したソースコードを公開し、動作ボード、関連ソフトウェア、開発環境なども充実しつつある。本セッションではこのμT-Kernel 3.0をサポートする主要ベンダーの方々が登壇。μT-Kernelに対応するマイコン、ボード、ソフトウェア、開発環境などの最新情報や、μT-Kernel導入のメリット、μITRONからの移行などについて解説を行った。
INIADリカレント教育
2020年12月11日(金)13:00~14:30 展示会場シアター1
コーディネータ:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長)
登壇者:矢代 武嗣(INIAD(東洋大学情報連携学部)准教授)
近年のICT(情報通信技術)の急速な進展は、さまざまな分野に変革をもたらしている。遍在的かつ高速なネットワークの展開、クラウドの普及、AI(人工知能)技術の成熟と民主化により、企業が社内外のデータを活用し迅速に課題解決を行うための技術的な基盤が整いつつあるが、そのような最先端技術についての知識とスキルを備えた人材を育成することが大きな課題となっている。
TRONプロジェクトが培ってきた最先端技術に関する知見を活かし、このような社会人のリカレント教育へのニーズに応えるための取り組みを積極的に進めてきたINIAD(東洋大学情報連携学部)。本セッションでは、民間企業そして日本社会のDXを後押しするINIADのリカレント教育プロジェクトの現在と未来について、INIAD学部長の坂村健教授と矢代武嗣准教授が講演を行った。
ココシル:ウィズコロナ時代のICTを活用した新たな観光・地域振興の取組
2020年12月11日(金)10:15~11:45 展示会場シアター2
コーディネータ:峯岸 康史(ユーシーテクノロジ株式会社 ユビキタス事業部部長)
登壇者:瀬戸 健太(岐阜県恵那県事務所 振興防災課 観光係主事)
石倉 英明(島根県庁 土木部 高速道路推進課 企画員)
佐々木 陽太(株式会社日旅ビジネスクリエイト 事業開発部)
新型コロナウイルスの影響により世の中の情勢が一変し、観光・地域振興分野でも大きな打撃を受けるとともに、新たな様式への対応が余儀なくされている。現在、「ココシル」は観光・地域振興などの情報サービスとして、全国約65の地域・施設で導入されているが、本セッションでは、コロナ禍においてもさまざまな模索を続ける地域・自治体のキーパーソンが登壇。ココシルを活用した新たな観光・地域振興の取り組みについてそれぞれの立場から紹介が行われた。
TRONイネーブルウェアシンポジウム TEPS 33rd「コロナ禍で障碍者を支援する」
2020年12月5日(土)14:00~17:00 オンライン開催
基調講演:坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長/TRONイネーブルウェア研究会 会長)
講演:立松 英子(東京福祉大学 社会福祉学部 教授)
長谷川 洋(NPO法人全国文字通訳研究会 理事長/NPO法人日本聴覚障害者コンピュータ協会 顧問)
三宅 洋信(東京都立久我山青光学園 主幹教諭)
TRONプロジェクトは「コンピュータはすべての人のために役立つ」という信念のもと、障碍者や弱者の援助に対する研究を長年続けてきた。新型コロナウイルスという世界的な非常事態に見舞われた2020年、33回目のTEPS(TRONイネーブルウェアシンポジウム)は初めてインターネット中継のみで開催されることになった。例年どおり手話通訳者と要約筆記画面が用意され、視聴者からの質問は「質問カード」フォームより受け付けた。
毎回時代を反映するテーマでシンポジウムを行ってきたTEPSだが、今回はまさに「コロナ禍で障碍者を支援する」がテーマである。コロナ禍は、健常者以上に障碍を持つ方々自身、そして周りの家庭・学校・医療福祉施設の方々の活動に大きな影響を与えている一方で、コロナ禍を契機に、ビデオ通話をはじめとした最新ツールが広く使われるようになったり、Withコロナを見据えた新たな技術も実用化されたりしている。
コロナ禍での障碍者や障碍者を支える周辺の方々をテクノロジーの力によっていかに支援できるのか。坂村健教授の基調講演では、「非接触」や「三密対策」が求められるコロナ対策はバリアフリー社会の実現にもつながるとし、IoT技術の連携によって状況認識による環境制御の自動化が促進されることに期待を示した。講演では、発達障碍、聴覚障碍、視覚障碍を持つ当事者や支援者としての立場からさまざまな問題が提起され、続くパネルディスカッションでは技術、施策、制度など多岐にわたる議論が繰り広げられた。
TIVAC Information:AMNESIA:33
トロンフォーラムは、組込みの脆弱性に関して啓蒙するために「TRON IoT脆弱性センター(TIVAC)」を開設している。米国の国防総省や国土安全保障省などから発信される脆弱性に関するさまざまな情報を、トロンフォーラム会員向けに紹介している。また、TRONに限らず組込みシステム全般に対する危険を広く周知するために、トロンフォーラムのウェブサイトやTRONWAREの「TIVAC Information」のコーナーでも概要を紹介している。
組込み機器で広く使われてきた複数のオープンソースのTCP/IPスタックに33個の問題があるという報告があった。AMNESIA:33という名前が付けられている。報告されたのはオープンソースで広く使われてきたuIP、FNET、picoTCPとNut/Net TCP/IPスタックの問題で、問題を発見して報告したForescout社は、問題のあるTCP/IPスタックが使われているかの検出ツールを提供している。トロンフォーラム会員向けのTIVACニュースレターでは、このツールの利用方法について詳しく報告している。
From the Project Leader
プロジェクトリーダから
本号は2020年12月に行われた2020 TRON Symposium(TRONSHOW)とTRONイネーブルウェアシンポジウム TEPS 33rdを特集している。コロナ禍においてTRONSHOWの展示と講演・セッションはリアルとバーチャルのハイブリッドでの開催となった。現在ほとんどのカンファレンスがオンラインのみのバーチャル開催となっているが、本シンポジウムの開催時期には首都圏に非常事態宣言が出ていなかったので、リアルとバーチャルの相乗効果を期待して同時開催を試みた。
バーチャルも含めた「来場者」総数は例年より多くなったものの、当然のこととして実際に来場した人の数は減ってしまった。しかし出展者側も一人一人の来場者とじっくり話をすることができたり、出展者展示紹介の動画をオンラインで配信することで来場できなかった人たちにも見てもらうことができたりして、今までとは異なる展示の見せ方ができたのではないだろうか。
講演・セッションに関して言えば、オンラインでの視聴を開催日から年末までの期間限定公開とし、当日の1回だけでなく期間中はいつでも何度でも見られるようにしたため、結果的に会場の定員よりも多くの人が視聴できるようになったのも良かったことの一つである。
本原稿を執筆している2021年1月は東京都に非常事態宣言が出ている最中であるが、2021年中にはワクチンの接種も始まり今の状況が改善されていることが期待される。しかしそうなっても完全にもとの状態に戻ることはないだろう。今回のシンポジウムでいろいろなことにチャレンジした結果、新しいアイデアもたくさん浮かんでいる。たとえばバーチャル案内人が展示会場を順番に紹介するようなコーナーや、会場の講演者や出展者とバーチャル来場者がチャットで相互に会話できるようなツールなども考えられる。2021 TRON Symposiumもバーチャルとリアルを融合しさらに魅力的な展示会になるよう、検討を進めていきたい。
坂村 健
編集後記特別編
ニューノーマル
コロナ禍の「ニューノーマル」
昨年末に、われわれのTRONプロジェクトの37回目のシンポジウムを、ネットとリアルのハイブリッドで無事開催することができた。リアルな展示会場もあり、そのネット中継も行った。2020年のテーマは「ニューノーマル」。コロナ禍に対して情報通信技術ができること、教育や社会がどのように変わるべきか、どのような技術が有望か、などなど、多くの興味深い講演や討論が行われた。
この「ニューノーマル」という言葉──もともとはITバブル後、2003年頃の米国の状況を指して使われた言葉。それがビジネスや経済学の分野で「大景気後退の後の金融状態」を指す経済用語として定着した。
世界金融危機という「異常」が終わっても、それ以前の「正常」は戻らない。金融危機ではないものの、長く続く危機は、それに適応しようとする社会に大きな不可逆的構造変化をもたらし、危機が過ぎても「古い正常」は戻らず「新しい正常」が始まる。長く続く世界的危機という意味ではパンデミックも同じ。それがコロナ禍の生む「ニューノーマル」だ。
感染症に強い社会に
科学技術が可能にしたグローバル化と「未開」への接触拡大が、世界的パンデミックのリスクを高めたともいわれている。新型コロナどころではない強い感染力と致死性を持つといわれる「鳥インフルエンザの人獣共通感染症化への突然変異」もいつ起こるかわからない。
それに対して、今回のコロナ禍による「ニューノーマル」は、社会をより感染症一般に耐性を持ったものに変えることにつながりうるものだし、事実そうするべきだ。
テレワークやオンライン診療の一般化、印鑑や紙書類、行政での対面規制の見直し、マイナンバー利用分野拡大の検討など、従来、前例墨守で進まなかった日本社会の改革が一挙に進んでいる。これらデジタルとネットワークをベースとする社会の改革は、基本的に現実環境での接触の必要を少なくすることにつながる。
最小限の物理的接触で社会活動を維持できる基盤ともなるし、パンデミックが発生したおりには、マスクや給付金などの公平な配布や三密回避といった対策をすばやく可能にすることにも役立つ。
さらに、これらは新型感染症対策であると同時に、短期的危機の災害時・復興時の助けにもなるだろう。日常の障碍者サポートにも有効だ。触らなくても開けられるドアは肢体不自由の人にとっても優しいドアだし、転倒や体調不良を察知するセンサー群は高齢者や体の弱い人を守る機能でもある。
完全収束するのか、季節性の悪性の風邪として定着するかはわからないが、コロナ禍もいずれは過去の話になるだろう。しかし「新しい正常」をどうするかはわれわれ次第。
14世紀の黒死病も多くの悲劇を生んだが、中世を終わらせ近代という「ニューノーマル」につながったのも事実だ。民主主義も科学もその結果と思えば、世界的危機を悲劇だけで終わらせないことこそ人類の強さだと思う。
感染症に強いアプリ
新型コロナの感染者急増で医療崩壊の危機が叫ばれているが、それに比べると取り上げられることは少ないものの、保健所も実は医療現場と同じぐらい危機的状況にある。
どちらにとっても、まず新規感染者が減ることが大事なのは確かだ。そのために今われわれにできることはマスクをし、しっかり手洗いをし、三密を避け、対面で大声を出さないこと。その意味では、できることは多くないとはいえ、これらの基本を守ればきちんと成果が上がる。一方、保健所の負担を減らすことに関しては、これ以外にまだやれることがあるだろう。
昨年6月19日にいち早くリリースされた「COCOA─新型コロナウィルス接触確認アプリ」という厚生労働省公式のアプリがある。リリース時には「国民の6割がダウンロードしてくれれば、感染抑制に大きな効果がある」と報道された期待のアプリだった。
しかし、残念ながらダウンロード数は、1月15日の時点で約2,365万件。国民の19%程度だ。それに対し、シンガポールでは同様のアプリの普及率が78%に達したと、つい最近発表された。シンガポールは4月頃には最高1日1,500人程度出ていた感染者を、今は30人程度と第2波を見事に抑え込んでいる。このアプリもそれに貢献していると思われる。「国民の6割の利用で、感染抑制に大きな効果」も眉唾ではないようだ。
COCOAのしくみ
COCOAは、それを入れたスマートフォン同士が15分以上近くにいると、近接電波通信でそれを感知し接触符号を交換し14日間記録する。感染が判明した人が保健所発行の通知番号を自分のCOCOAに入力すると、記録をもとに濃厚接触の疑いがあるスマートフォンに検査を促す通知が出るしくみだ。
コロナ禍では多くの業務が保健所に課されているが、感染者急増に従い幾何級数的に負担が大きくなっているのが濃厚接触者の追跡作業だ。
感染者が出たら、その人に細かく行動履歴を聞き取りし、感染の流れを上流方向にたどり感染場所を推定、その人に感染させた可能性のある人を割り出す。また、逆に下流方向に向かってその人が濃厚接触した人を割り出し検査を受けさせる。その過程でクラスターが発見されたら、そこから広げてさらに同じ作業を行う──という具合で、この日本独自の追跡とクラスター潰しの戦略が機能したのが、日本が第1波を最小限の被害で乗り切れた大きな要因といわれている。
しかし追跡業務で一人の感染者から上下にたどってクラスター疑いがあれば追跡が分岐し、対象者は下手すると幾何級数的に増える。そのため昨年末からの感染者急増では、医療崩壊より先に追跡によるクラスター対策はとっくに崩壊し、第3波の収束はより難しくなっているとの悲鳴が現場から上がっているという。
普及への障害
せっかくのCOCOAが、普及していないためシンガポールのように助けになれていない。これは、残念なことに初期に不具合が出たり、開発費の不透明性についての否定的ニュースが流れてケチがついたりして、積極的にダウンロードする機運が作れなかったことが大きい。また、中国や韓国で国民に義務化されたような、GPSで政府に位置が知られるアプリの同類と誤解されたことも、プライバシー懸念で普及を阻んだようだ。
しかしCOCOAの中核となっているのはApple社とGoogle社が共同開発したOS機能で、シンガポールや日本だけでなく、市民の権利に敏感なドイツもこれを採用している。
GPSも使っていないし、近くにいたスマートフォンの記録も、発信側で定期的に変更し暗号化した数字で行われている。その記録から濃厚接触疑いに該当することを知ることができるのは、発信側のスマートフォンのみ──第三者が知ることは不可能。また、知らされた側も14日の間に、近くにいた人の誰かが感染していたというだけで、それが誰かはわからないしくみだ。
知恵の絞りどころ
とはいえ、最近は危機感が薄れたせいか保健所でも聞き取りに対し回答を拒否したり、嘘を答えたりするケースが増えてその裏取りに時間がかかり、ますます作業が大変になっているとのこと。このアプリも感染発覚後の通知番号入力は感染者任せなので、強制的な国のアプリに比べ機能しないケースは出るだろう。イギリスのように切羽詰まっている国は、この仕様では手ぬるいとより強制的なアプリを独自開発しようとして、手間取っていたようだ。
とはいえ、多くの人が利用すれば、保健所の助けになるのは確かだ。ドイツもそうだが、決まりに従う国民が多い国では、それなりに有効に働くはずだ。
この種のネットワーク外部性の高いアプリは、普及率で幾何級数的に効果が高くなる。経団連が傘下の大手企業の利用を促進したため、われわれの測定でも実際大手町駅周辺では利用率が多いという結果も出ている。
シンガポールは利用の強制はしなかったものの、多くの利用促進策を実行した。さらに、一般にスマートフォンの所持率は60%程度なので、効果を出すには所持者100%の利用となると強制しかない。そこで、スマートフォンを持ち歩かない子供や老人向けのための、「TTトークン」という追跡機能のみに絞った端末も開発して配布した。それによって普及率が78%まで伸びた。
日本でも国民がCOCOAを利用するように努める──というだけでなく、企業が出勤者にCOCOAを必須とするとか、行政も外食産業がコロナ対策店を名乗ることを認めるには客のアプリ利用確認を条件にするとか、Go To トラベル再開時にはCOCOAからの申請にするなど、強制でなくても普及を後押しする手段はいくらでもある。知恵の絞りどころだ。
坂村 健