
TRONWARE Vol.219
ISBN 978-4-89362-396-6
A4変型判 並製/PDF版電子書籍(PDF版)
2026年6月15日発売
特集:AI時代の組込み開発 最前線
組込みシステム開発の標準化を40年にわたり牽引してきたTRONプロジェクトが、生成AI活用の新たなステージへと踏み出した。
情報処理分野ではAI活用が常識となりつつある一方、組込み開発では学習データ不足やハードウェア依存の複雑さから普及が遅れている。そこで、2025 TRON Symposiumでは、μT-Kernelの仕様書やサンプルコードを大規模に学習させた専門知識ベースをVSCodeから呼び出す「TRON GenAI Code Assistant」を発表し、汎用AIが陥りがちなハルシネーションを大幅に抑制しながら組込み開発を支援できることを実証した。
しかし、AIの世界の進化は止まらない。2025年末から急速に広まりはじめた「Skills(スキル)」――AIエージェントに専門知識と作業手順をパッケージとして与えるしくみ――は、わずか数か月でAnthropicのClaudeからGoogleのAntigravityにまで採用が広がり、事実上の業界標準へと向かっている。
「Open×Open」を哲学とするTRONプロジェクトは2026年、この流れに乗ってSkillsを軸とした新たなAIエージェント戦略へと大きく舵を切った。それは、TRONプロジェクトが40年かけて蓄積したOS仕様や移植のノウハウをSkillsに集約し、トロンフォーラム会員企業が自社のAI環境に組み込める形で提供する構想だ。日本の組込み業界全体をAI時代に対応させるべく、競合他社間でも基盤部分を共同構築する「競争と協調の使い分け」を目指している。
本特集では、その設計思想と、トロンフォーラムAI開発WGが描く具体的な展望を詳述する。

ODPTウェビナー2026〜公共交通オープンデータ協議会のいま〜
公共交通オープンデータ協議会(ODPT)は、公共交通データのオープンな流通を目指す、産官学連携の協議会である。
2026年3月3日にODPTの活動を紹介するウェビナー「ODPTウェビナー2026〜公共交通オープンデータ協議会のいま〜」が開催された。
第1部では「公共交通オープンデータの更なる発展に向けて」と題し、ODPTの2025年度活動報告が行われた。さらに、MobilityDataとの国際連携の取り組みや、バス停サイネージや経路検索サービスへの実装事例を通じて、公共交通に関するオープンデータの現在地と可能性が多角的に紹介された。
第2部は「公共交通オープンデータチャレンジ2025-powered by Project LINKS-」の結果報告および受賞者による入賞作品紹介が行われた。
データの整備・流通・活用という三つの層が着実につながり、公共交通の新たな価値創出に向けた歩みが確実に進んでいることが示された。

東洋大学 入学式祝辞
2026年度東洋大学の入学式が2026年4月6日に日本武道館で執り行われ、INIAD(東洋大学情報連携学部)創設者の坂村健INIAD cHUB(東洋大学情報連携学 学術実業連携機構)機構長が祝辞を述べた。
坂村機構長は「今日は、あえて最初に『おめでとう』からは始めません」と、新入生に語りかけた。そして、AIが指数関数的に進化する「激変の時代」を迎えた今、「問題を解く力」はAIに委ね、人間が担うべきは「問題を立てる力」だと指摘。新入生にはAIの「優れた上司」として問いを設定し、結果に責任を持つ姿勢が求められるとした。そのための基盤として、知識を横断的につなぐ真の教養の重要性を強調。人間の知識の「偏り」こそが、平均的な答えしか出せないAIを突き破る特殊解を生むとし、大学の4年間でそれぞれのトゲを鋭く伸ばすよう激励した。

TIVAC Information:AIが見つけた脆弱性
米Anthropic社が開発したAIモデルが、ソフトウェアのソースコードを解析して脆弱性を高速に発見できるとして話題になっている。同社は、この技術を一般公開すると悪用される危険があるため、代表的なソフトウェア会社などに限定して提供すると発表した。
特に注目されたのは、OpenBSD(セキュリティを重視した設計で知られるオープンソースOS)に脆弱性が見つかったという話である。OpenBSDはBSD系OSの中でもセキュリティを重視して慎重に開発されてきたことで知られている。そのため、ネットワーク機器などへの影響も含めて衝撃的なニュースであった。
一方で、AIは並列処理システムの設計や保守にも役立つ。組込みシステムでは、タスク間同期の問題がごくまれにしか発生しないことがあり、実際のデバッグは難しい。
こうした並列処理システムの「正しい」動作を検証するために、時相論理(Temporal Logic)という数理論理学の手法がある。これは「ある条件が常に成立する」「ある事象の後には別の事象が起こる」といった時間的性質を論理式として記述するもので、並列処理や分散システムの検証に適している。
以前は、ソースコードから「状態」「状態遷移」「不変条件」などを抽出する作業は難しいと思われており、時相論理による検証は研究用途の技術という印象が強かった。しかし最近では、生成AIを利用することで、既存コードからシステム構造や不変条件を整理しやすくなっている。
AIによる脆弱性探索は注目を集めやすい。しかし一方で、既存ソフトウェアを解析し、並列処理システムの設計検証や潜在バグの発見に役立てるという、実務的に有益なAI利用法も今後広がっていくのではないだろうか。

From the Project Leader
プロジェクトリーダから
大規模言語モデル(LLM)が社会のあらゆる領域に適用できることが明らかになり、AIの活用は想像を超える速度で広がっている。その範囲は当然、情報処理システム——コンピュータシステムの開発やプログラム作成——をも包含している。
コンピュータ業界そのものが、今まさに大きな変革期を迎えていることは疑いようがない。かつては大量のプログラマーを確保しなければ実現できなかったこと、あるいはシステムインテグレーター(SIer)の力を借りなければ成しえなかったことが、今やシステムを必要とする企業が自力で開発できる状況になりつつある。
こうした変化の中、情報処理分野では「SaaS(Software as a Service)の終焉」「サービス層のパッケージソフトウェアはもはや不要である」「SIerという職業そのものが消滅するのではないか」という議論が公然と語られるようになった。システムインテグレーションという業態の存在意義が根本から問われはじめている。
一方、組込みシステムの分野は事情が根本的に異なる。航空機やロケットの制御プログラムは、ほとんどオープンソース化されておらず、TRONが搭載された多くの機器は装置内部に閉じた存在である。しかし、実際の製品に組み込まれる制御アプリケーションや機器固有のチューニング、ドライバ、検証データは、メーカーのノウハウや安全性・認証上の理由から公開されにくい。トロンフォーラムも、T-Kernel上で開発された製品側ソースコードを公開するかどうかは利用者の判断に委ねている。
そのため、GitHub上に大量の公開リポジトリが存在する一般的な情報処理分野と比べると、産業用制御プログラム、とりわけ実機依存の組込み制御コードや運用データはAI学習・評価に利用しにくい。この公開データ量と再利用可能な事例の少なさが、組込み分野へのAI適用を難しくしている重要な要因の一つである。
すぐには情報処理システムと同様にいかないとしても、組込みシステムだけがAIの恩恵を受けられない道理はない。AIが有効に機能するためのコンテキストを整えることが、今この瞬間に最も重要な取り組みである。
近年、AIのエージェント化が主流となる中で、専門知識と作業手順が明確に定義された領域においてはAIエージェントが顕著な効果を発揮することがわかってきた。組込み分野の専門知識と作業手順をいかにまとまった形でAIに与えるか——これが現在の核心的な課題である。
トロンフォーラムでは、数か月にわたって体制整備の取り組みを続けてきた。技術の進展があまりにも速く、当初の方針を再考したうえで現状に即した形に刷新し、2025年度末にようやく方向性が固まった。一社・一個人の力では対応しきれないため、トロンフォーラム内にAI開発ワーキンググループ(WG)を設置し、組込み開発へのAI 活用という課題に組織として対処することになった。本WGは、情報収集のみを目的とした参加者と、積極的に連携して共同開発に取り組む参加者とを明確に区別した形で運営される。参加条件や規約についても詳細な検討が行われてきた。
このプロジェクトが成果を上げれば、組込みプログラマーの業務の多くをAI が代替し、人間はより高度な判断を求められる業務に集中できるという展望が現実味を帯びてくる。情報処理分野ですら開発者の確保が困難な現在、組込み分野における人材不足はさらに深刻である。少子高齢化が進む日本において、人材確保の困難さは今後一層増すことが予測される。WGの成果は、日本を含む組込み産業全体が抱える構造的課題への有力な解決策となりうる。
また、μT-Kernel 3.0を使ったTRONプログラミングコンテストは2024年より毎年開催されているが、2026年のエントリー数は2025年を大きく上回り、かつその半数以上が海外からのエントリーであった。この数字は、日本国内における組込み開発人材の育成が急務であることを如実に示している。
本号の特集では、AI開発WG における組込み開発の進め方、その基本的な考え方と実践方法を解説している。新たにスタートしたこの試みの成功を心より願うとともに、組込み関連の多くの企業・開発者がWGに積極的に参加されることを強く期待する。
坂村 健

編集後記
Anthropic が開発した新世代の生成AI モデル「Claude Mythos(クロードミュトス)」が、凄まじいスピードで世界的な注目を集めている。その能力の高さから、利用者を厳格に制限した管理下での公開(Project Glasswing)という異例の形でリリースされた。
その理由は、Claude Mythosがソフトウェアの脆弱性発見において突出した能力を発揮することが明らかになったからである。悪用された場合には情報システムへの攻撃が飛躍的に容易になるという深刻な懸念から、Anthropicは当初、アクセス可能な組織を慎重に選定し、限定的な公開にとどめていた。
公開当初、日本企業はアクセスを認められた組織に一社も含まれていなかった。しかし、日本政府の働きかけなどを経て、情報システムへの攻撃を受けた場合に社会的影響の大きい銀行や重要インフラ企業を中心に、最近になってアクセスが認められるようになった。
では、組込みシステムはどうか。脆弱性を突かれた場合の影響の深刻さは情報システムと同様であるが、取り巻く事情は根本的に異なる。組込みシステムには、情報システムとは異なる固有の問題点が存在しており、同じ対策をそのまま適用することは難しい。
Claude Mythosのような高度なAIモデルが登場した今、組込みシステムのセキュリティについて何を考え、何をすべきかを検討することは急務である。
トロンフォーラムでは、組込みシステムのセキュリティ脆弱性防止を目的としたTIVAC(TRON IoT脆弱性センター)を設置し、Claude Mythosのような高能力モデルの登場をふまえ、組込みシステムとして何をすべきかの考察を進めようとしている。
本号には、その取り組みへのイントロダクションとなる記事を掲載した。誌面の都合上、詳細な情報はトロンフォーラム会員向けに提供しているが、まずはTIVAC Information(46ページ)をお読みいただき、この取り組みへの理解を深めていただければ幸いである。より詳細な情報を求める方には、トロンフォーラムへの入会をお勧めする。
坂村 健
