
TRONWARE Vol.217
ISBN 978-4-89362-394-2
A4変型判 並製/PDF版電子書籍(PDF版)
2026年2月16日発売
特集1:2025 TRON Symposium─TRONSHOW─
TRONプロジェクトは次の10年に向けた新たな歩みを始めている。TRONはこれまで、リアルタイム組込み機器の開発に始まり、エッジノードの相互接続を経てIoTプラットフォームへと進化してきた。そして今、クラウド連携によるビッグデータ解析と的確な制御により、スマートホームやスマートシティなど産業用途への多彩な応用を実現している。
2025 TRON Symposium─TRONSHOW─では「TRON×AI 2」をテーマに、生成AIを活用した組込みシステム開発環境、ビルOS・ハウジングOSのAPI標準化とAI連携、公共交通オープンデータ活用、実用化が進むIOWNなど、AIとの融合により革新が進むさまざまな事例が紹介された。
IEEE Consumer Technology Society技術協賛による論文セッションや、TRONプログラミングコンテスト2025の表彰式では、AIを活用した数々のすばらしいアイデアが国内外から発表された。
- 2025 TRON Symposium―TRONSHOW―ウェブサイト
https://www.tronshow.org/

基調講演「TRON×AI 2」
2025年12月10日(水)10:30~12:00
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow、INIAD cHUB(東洋大学情報連携学 学術実業連携機構)機構長、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所長、TRONプロジェクトリーダー
坂村健TRONプロジェクトリーダーによる基調講演「TRON×AI 2」では、TRONプロジェクトがあらゆる領域にAIを取り込み、変革を継続する強い意志が示された。
TRONの中核プロジェクトであるリアルタイムOSとAIの連携に関して、AIが物理世界を認識し制御する「AIエッジコンピューティング」の進化に注目し、生成AIによるコード自動生成を実現する「TRON GenAI CODEアシスタント」や、不完全なデータから推論する「Probably Computing」を用いたIoT機器の自律的な防御(本能の実現)などが語られた。さらに、公共交通オープンデータ協議会(ODPT)やOpen Smart UR研究会、一般社団法人IoTサービス連携協議会(AIoTS)のPDS(パーソナルデータストア)事業など、周辺プロジェクトでの積極的なAI活用の事例が紹介された。
また、状況を察するAI「CLAモデル」による生活支援の研究や、セキュア機能を強化した「µT-Kernel 3.0」の展開など、AIと組込みシステムが高度に融合する未来像が提示された。
NTTセッション「AI・TRON×IOWNが実現する、持続可能な社会に向けたイノベーション」
日時:2025年12月10日(水)15:00~16:30
【登壇者】
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow
川添 雄彦:NTT株式会社 チーフエグゼクティブフェロー
荒金 陽助:NTT株式会社 研究企画部門 IOWN推進室 室長
2019年のIOWN構想発表から5年。そのビジョンは現在、さまざまなパートナーとの共創を経て、大阪・関西万博における「IOWN 2.0」の実装という新たなフェーズを迎えている。
本セッションでは、TRONプロジェクトリーダーの坂村健東京大学名誉教授に加え、NTT株式会社より川添雄彦氏(チーフエグゼクティブフェロー)、荒金陽助氏(IOWN推進室長)が登壇。世界初の光電融合デバイスを組み込み、電力消費を8分の1に低減させる「IOWN光コンピューティング」を開発するなど、IOWN構想が目指す「電力消費100分の1」への確かな第一歩が示された。急速に進化するAI、TRON、そしてIOWNの連携がいかなるイノベーションをもたらすのか。三つのトピックを通じて、持続可能な社会の実現に向けた最新の絵姿が語られた。
Open Smart URセッション「2030年の電脳集合住宅」
日時:2025年12月10日(水)13:00~14:30
【登壇者】
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow、INIAD cHUB(東洋大学情報連携学 学術実業連携機構)機構長
冨岡 裕史:独立行政法人都市再生機構(UR都市機構) 本社 技術監理部 担当部長
コンセプトブック「UR2030」で描かれた未来まで、残りわずか5年。2019年の発足以来、HaaS(Housing as a Service)を掲げて「未来の住まい方」を模索し続けてきたOpen Smart URプロジェクトは、今「AIエージェントが自律的に環境を整える」という新たなフェーズへと突入している。
本セッションでは、INIAD cHUB(東洋大学情報連携学 学術実業連携機構)機構長の坂村健東京大学名誉教授と、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の冨岡裕史氏が登壇。生活モニタリング住戸におけるIoTとAIを活用した照明・空調の自律制御や、デジタルサイネージを通じた地域情報の連携など、実証実験を通じて蓄積された具体的な成果が報告された。平時の利便性のみならず、災害時の安否確認や情報伝達基盤としての役割も担う「2030年の電脳集合住宅」。その実現に向けた可能性と課題について、両氏による解説と展望が語られた。
組込みシステム特化型AIアシスタント
日時:2025年12月11日(木)13:00~14:30
【登壇者】
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow
松為 彰:トロンフォーラム T3 WG座長代理、パーソナルメディア株式会社 代表取締役
矢代 武嗣:INIAD(東洋大学情報連携学部)教授
浅野 智之:INIAD cHUB(東洋大学情報連携学 学術実業連携機構)上級研究員
組込みシステムの開発環境に、専門知識を持つAIエージェントを深く統合する。本セッションでは坂村健東京大学名誉教授が登壇し、従来の組込みシステム開発の枠を超えた新しい開発スタイルが提言された。
それは、TRON組込み開発のあらゆるドキュメント、ノウハウを丸ごと学習したAIエージェントだ。単にシステムコールの使用法を回答するといった支援だけでなく、プロジェクトの文脈を理解した上でアプリケーション開発、デバイスドライバ開発の設計からコーディング、デバッグ、移植など広い範囲の開発作業を支援するこのシステムは、開発者が思考の流れを途切れさせることなく、コアの作業に没頭できる環境を実現する。AIと協働する未来の組込み開発現場の姿が浮き彫りとなるセッションとなった。
公共交通オープンデータセッション「AIとオープンが創る、地理空間情報と公共交通の未来」
日時:2025年12月12日(金)10:30~12:00
【登壇者】
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow、公共交通オープンデータ協議会(ODPT)会長
西村 佳久:東日本旅客鉄道株式会社 執行役員 イノベーション戦略本部統括
大沼 利広:グーグル合同会社 Geoパートナーシップ 日本・中華圏統括
Tzu-Jen Chan:MobilityData GTFS Program Manager
AIが社会のあらゆる領域を変革する中、地理空間情報と公共交通はいかなる進化を遂げるのか。本セッションでは、公共交通オープンデータ協議会(ODPT)会長の坂村健東京大学名誉教授に加え、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の西村佳久氏、グーグル合同会社の大沼利広氏、そしてGTFS標準化を牽引する国際組織MobilityDataのTzu-Jen Chan氏という多彩な顔ぶれが登壇した。
国土交通省と共同主催する「公共交通オープンデータチャレンジ2025 –powered by Project LINKS–」の開催を背景に、Google によるAIを用いた地理空間情報の高度化や、JR東日本における現場起点のAI活用事例など、最先端の取り組みが次々と紹介された。さらにグローバルな視点としてGTFS標準化の最新動向も共有され、「AI×オープン」が切り拓く公共交通の新たな地平について、熱のこもった議論が展開された。
ほこナビ~自治体との連携と歩行空間ネットワークデータの活用~
日時:2025年12月12日(金)13:00~14:30
【登壇者】
坂村 健:INIAD cHUB機構長、東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow
山田 加奈子:東京都北区 区長
鈴木 祥弘:国土交通省 総合政策局総務課(併)政策統括官付(併)大臣官房交通需要推計室 政策企画官
高橋 識光:株式会社パスコ 代表取締役社長
別所 正博:INIAD(東洋大学情報連携学部)教授
本セッションでは、INIAD cHUB機構長を務める坂村健東京大学名誉教授に加え、東京都北区長の山田加奈子氏、国土交通省の鈴木祥弘氏、株式会社パスコ代表取締役社長の高橋識光氏、INIADの別所正博教授が登壇し、産官学の強力な連携による「移動の未来」が語られた。
焦点となったのは、国土交通省が推進する「ほこナビ」(歩行空間ナビ・プロジェクト)だ。歩行空間の段差やバリアフリー情報をオープンデータ化することで、すべての人が、そしてサービスロボットまでもが自律的に移動できる社会基盤の構築を目指している。INIADと北区による先進的な実装事例を起点に、全国規模で進むデータ整備の現状と、自治体連携が生み出す新しいまちづくりの展望について、具体的なロードマップが示された。
ファーストペンギン精神の継承:AI時代を切り拓くイノベーションと人材育成の戦略
日時:2025年12月12日(金)15:00~16:30
【登壇者】
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow
林 郁:株式会社デジタルガレージ 代表取締役 兼 社長執行役員グループCEO 株式会社カカクコム 取締役会長
宮坂 学:東京都 副知事
生成AIの登場によりイノベーションのコストは劇的に下がり、「誰でも低コストで挑戦できる時代」が到来した。この変革期において、未踏領域へ最初に飛び込む「ファーストペンギン精神」はいかにして次世代へ継承されるべきか。
本セッションでは、坂村健東京大学名誉教授をホストに、日本のインターネットビジネスを牽引してきたデジタルガレージの林郁氏、そして東京都副知事として都市のDXを推進する宮坂学氏という、産官学のトップランナーが登壇した。議論の核心は、2025 TRON Symposium-TRONSHOW-のテーマ「TRON×AI 2」とも共鳴する、学びの変革を通した人材育成の教育のAIトランスフォーメーション(AIX)と、社会実装を支えるエコシステムの構築だ。民間による投資・育成戦略から行政によるスタートアップ支援まで、それぞれの視座から語られる「未来のイノベーター育成論」に、満員の会場が熱心に耳を傾けた。
TRONイネーブルウェアシンポジウム TEPS 38th
「聴覚障碍者のスポーツアクセシビリティ ―音を視て、言葉を読んでスポーツを楽しむ」
日時:2025年11月29日(土)13:30~16:30
会場:INIADホール(東洋大学 赤羽台キャンパス)
【基調講演】
坂村 健:東京大学名誉教授、TRON イネーブルウェア研究会会長
【講演】
方山 れいこ:株式会社方角 代表取締役
岩田 佳子:株式会社リコー デジタルサービス事業本部 プラットフォーム企画センター ユニバーサルコミュニケーションサービスグループ
沼倉 昌明:トレンドマイクロ株式会社、デフバドミントン・ナショナルチーム所属、筑波技術大学大学院 技術科学研究科 産業技術学専攻
【パネルセッション】
方山 れいこ、岩田 佳子、沼倉 昌明、坂村 健(コーディネーター)
2025年11月、日本で初めてデフリンピックが開催された。デフリンピックとは、デフ(Deaf=耳が聞こえない)+オリンピックで、「聞こえない・聞こえにくい人のためのオリンピック」だ。
そこで今回のTRONイネーブルウェアシンポジウム(TEPS)では、聴覚障碍者のスポーツを支える技術に注目した。打球音を擬音で可視化する、場内アナウンスを字幕配信する、競技中の情報保障を実現するなどして、音を視て、言葉を読んでスポーツを楽しむ。本シンポジウムでは、こうしたテクノロジーが拓くスポーツアクセシビリティの可能性を探った。今回も例年どおり手話通訳と要約筆記画面が配置された。
坂村会長は基調講演でデフリンピックの歴史的背景を紹介。それをふまえ、デフの課題は「情報伝達のバリア」にあり、純粋に「情報伝達(ソフトウェア)の補完」が求められているとし、デフスポーツの現場で必要とされるアクセシビリティ支援の技術を具体的に解説した。
株式会社方角の方山れいこ氏は、卓球・バドミントンの打球音を可視化する「ミルオト」についてデフリンピックでの採用事例を紹介した。株式会社リコーの岩田佳子氏は聴覚障碍者向けコミュニケーションサービス「Pekoe(ペコ)」を紹介した。東京2025デフリンピック バドミントン混合団体戦金メダリストの沼倉昌明氏は競技力向上のために有効な情報保障システムに関する研究を紹介した。後半のパネルセッションは、坂村会長をコーディネーターとして、会場およびオンラインでの参加者からの質問に登壇者が回答した。
特集2:TRONプログラミングコンテスト2025
TRONプログラミングコンテスト2025 表彰式
日時:2025年12月11日(木)15:00~16:30
2025 TRON Symposium セッション会場
【登壇者】
坂村 健:東京大学名誉教授、IEEE Life Fellow、TRONプロジェクトリーダー
後藤 貴志:インフィニオン テクノロジーズ ジャパン株式会社 バイスプレジデント 経営戦略室 室長 兼 社長補佐
パオロ・オテリ:STマイクロエレクトロニクス株式会社 マイクロコントローラ・デジタルIC+RF製品グループ アジア パシフィック地区バイスプレジデント
黒田 昭宏:ルネサス エレクトロニクス株式会社 エンベデッドプロセッシングプロダクトグループ エンベデッドプロセッシング事業部 ヴァイスプレジデント
松為 彰:トロンフォーラム T3/IoT WG 座長代理、パーソナルメディア株式会社 代表取締役
TRONプログラミングコンテスト2025入賞者
トロンフォーラムが主催する「TRONプログラミングコンテスト2025」は、主要マイコンメーカー4社の協力のもと2025年1月21日から9月30日にかけて開催され、世界標準のリアルタイムOS「μT-Kernel 3.0」と最新マイコン、そしてAI技術を融合させたアプリケーションやツールを募集した。その表彰式が、12月11日に2025 TRON Symposiumの会場で行われた。
表彰式では、はじめに坂村健審査員長によってコンテストの概要が説明され、審査結果が発表された。エントリー数は国内外合わせて64件(国内35件、海外29件)に上り、IEEEの協力もあり海外からの応募が増加したことが報告された。最終的に動作するシステムとして完成し審査に進んだのは31件で、審査の結果、各部門で優秀賞、入賞、激励賞が選出された。残念ながら全部門を通じた最優秀賞(グランプリ)は該当なしとなった。
続いて、坂村審査員長がプレゼンターとなり各部門の表彰が行われた。名前を呼ばれた受賞者がステージに登壇し、坂村審査員長から賞状と目録が手渡されると、会場からは温かい拍手が送られた。
受賞者による作品のプレゼンテーションと審査員による講評の後、坂村審査員長から「TRONプログラミングコンテスト2026」の開催が発表された。テーマは引き続き「TRON×AI AIの活用」が掲げられ、エントリー受付が即日開始されている。
- TRONプログラミングコンテスト2025・結果発表
https://www.tron.org/ja/programming_contest-2025/programming_contest_2025_awards/

TIVAC Information:SSL/TLS証明書の有効期限
ウェブサーバーの「SSL/TLS証明書の有効期限」について、近年その期間を短縮する動きが加速している。証明書の定期的な更新を必要とする理由の一つは、暗号の解読技術の進歩で鍵が安全でなくなることがあるからだ。そのため、鍵のビット長を長くしたり、公開鍵暗号に使う暗号アルゴリズムを更新したりする必要がでてくる。さらに鍵が漏洩した場合の対策として、鍵をいつまでも有効にしておくことは望ましくない。
有効期限が短縮されると、ウェブサーバー運用者による更新作業の頻度は劇的に増加する。もはや手動での対応は現実的ではなく、短期化の運用を実現するには、更新プロセスの自動化が不可欠となる。そこで、証明書更新を容易に行うため、取得および更新手続きを自動化する標準プロトコルとしてACME(RFC 8555)が2019年に策定された。現在では、ウェブサーバーがACMEクライアントを用いることで、サーバー証明書の更新を自動化できる環境が広く整っている。
ウェブ業界全体で証明書の有効期限短縮と更新の自動化が進む一方で、課題となるのがIoTなどの組込み機器における対応である。IoT機器での証明書の自動更新には、一般的なサーバーとは異なるハードルがある。PCベースの比較的性能が高い制御機器であればACMEクライアントなどの導入も可能だが、リソースの限られたエッジノードで、証明書がファームウェアの一部としてROMなどの書き換え難い領域に格納されている場合、頻繁な書き換えはシステム運用上、困難だ。
その結果、現状の組込み機器ではどのような運用がなされているのか。身近な例として、ウェブブラウザで設定画面を開けるある業務用ルーター(記憶媒体にEPROMを使用)を調査したところ、自己署名証明書が使われており、その有効期限は「2040年1月1日」となっていた。このように、「一度出荷したら変更しない」ことを前提に超長期間の有効期限を設定する従来の組込み機器の設計思想は、現在の「有効期限を短くし、常に更新し続ける」というウェブセキュリティの潮流とは真っ向から対立するものである。
証明書の有効期限が極端に短くなる中で、オープンなネットワークに接続されるIoT機器はどう対応すべきか。オープンな環境であれば当然、公的な証明書を使うべきであるが、前述したリソースや運用の制約とのトレードオフをどう解消するかは複雑な問題である。

From the Project Leader
プロジェクトリーダから
2026年という新たな年を迎えた今、生成AIの進歩は留まるところを知らず、さらに加速している。かつては未来の概念として語られていた「シンギュラリティ(AIが人間の知能を超える転換点)」への到達さえ、もはや現実的なスケジュールとして実感されるほどだ。特に、数学の難問解決においてAIが深く関与し、人間には思いもよらないアプローチを提示し始めている現状を見ると、特に2022年以降、時代のフェーズが完全に変わったことを痛感せざるを得ない。
こうした認識のもと、2025 TRON Symposiumでは、「AIをいかにTRONプロジェクトに応用するか」に焦点を絞り、2024年に続き「TRON × AI」を最重要テーマとして掲げた。AIは、これからの社会の在り方、働き方、経済活動、そして人間生活の基盤そのものに深く絡み合う、最大のテーマであるからだ。TRONプロジェクトがカバーする多くのトピックにおいても同様であり、AIをいかにうまく使うかを考えずに前へ進むことはできない。この方針は一過性のものではなく、2026 TRON Symposiumにおいても継続し、さらに深化させていく予定である。
最終日のセッションでは「ファーストペンギン」をテーマに、新しいことを生み出すとは何かを考え、AIと人間の関係性について議論を深めた。ファーストペンギンとは、群れの中から天敵がいるかもしれない海へ最初に飛び込む勇敢なペンギンのことで、イノベーションの世界ではリスクを恐れずに挑戦する先駆者の象徴として使われる言葉だ。そこで改めて確認したのは、AIとは「人類が蓄積してきた知識を総動員し、さまざまな可能性を探索するしくみ」であり、ある意味で「完全無欠」に近い存在だということだ。それに対して人間は、寿命という時間の制約の中で生きているため、全知を学ぶことなど到底不可能だ。個人の知識は、その人の生き様や置かれた環境によって必ず偏りが生じる。
しかし、私はこの「偏り」こそが人間の価値であると考える。AIが「全体」をカバーするのに対し、人間は経験や環境によって特定の方向に「尖って」いく。「TRON × AI」のキービジュアルにあえて星型を採用したのも、この人間特有の「尖り」が個性であり、イノベーションの源泉であることを表現したかったからだ。AIの網羅性と人間の鋭利な個性が噛み合うことで初めて、面白い未来が生まれる。これからの時代は、この両者がいかに協力し、共生していくかが問われている。
世間にはいまだに「AIに頼ると自分で考えなくなる」といった声や、教育現場での利用を制限すべきだという意見がある。しかし、私はこの考えには断固として反対である。これは、視力の弱い者に対して「眼鏡をかけるな、自力で遠くを見る訓練をしろ」と強いるようなものだ。眼鏡なしで視力を回復させる訓練が生理的に無意味であるのと同様に、AIという強力な「知の眼鏡」が存在する現代において、あえてそれを使わずに思考することは、ナンセンスと言わざるを得ない。
もちろん、基礎体力をつけるために小中学校で走る訓練をすることには意味があるだろう。しかし、大学教育や実社会において求められるのは、個人の基礎身体能力ではなく、経済や社会を進展させる具体的なアウトプットだ。トップアスリートでもないかぎり、生身の足の速さが経済的価値に直結しないのと同様、AIを使わずに「素手」の知能だけで戦うことに固執していては、これからの社会では通用しない。
今こそ発想を根本から転換すべきだ。AIを忌避するのではなく、あらゆる領域でAIを徹底的に駆使して物事を前進させる力をつけることこそが、現代における真の「知性」である。TRONプロジェクトではこの信念に基づき、組込みシステムの開発から、公共交通オープンデータをはじめとするデータ解析に至るまで、全プロジェクトで総力を挙げてAI活用を推進し、社会に役立てていく決意である。
坂村 健

編集後記
東京都調布市にNTTの施設「NTT e-City Labo」(NTT中央研修センタ) がある。ここはNTTグループが保有する技術を通じていかに社会貢献に寄与できるかを、一般にもわかりやすく説明・展示している施設だ。多分野にわたってNTTが行っている試みをいくつも紹介している。
その中で一つ紹介したいのが、通信回線のメンテナンス技術を応用した事例である。車両にLiDARセンサー(ライダー:レーザー光による検知・測距技術)を搭載し、走行しながら周囲を自動的に三次元解析することで、電柱や通信線の敷設状況に問題がないかを点検するというものだ。
ここで重要なのは、LiDARセンサーは対象を選ばないという点である。通信回線を点検しているときに、同時に信号機やガードレール、路面の状況、あるいは街路樹の様子などもデータとして取得している。これまでは「自社の設備に関係のないデータ」として捨てていたが、昨今の人手不足や管理コストに悩む地方自治体に対し、これらのデータを道路や樹木を管理するために提供する事業を始めている。
これは極めて合理的なアプローチだ。公道には通信回線以外にも、電力会社の電線、警察が管理する信号機、そして道路そのものなど、多種多様なインフラが混在している。各事業者が「自分の持ち物」だけを点検するために個別にデータを収集するのではなく、データを共有し協力し合うことで、日本全体のメンテナンスコストを下げることは十分に可能である。技術的な基盤はすでに整いつつある。LiDAR センサーによる自動収集に加え、AIの進化により、「様子がおかしい」といった異常検知を行う「見守り」のしくみすら実用段階に入っているからだ。
しかし、ここで最大の壁となるのは技術ではなく、企業や組織の枠を超えてデータを融通し合うための「制度設計」である。かつてのように国が十分な予算をかけ、国土をくまなく巡回・点検するような維持管理は、もはや限界が見えている。ましてや財政の厳しい市町村においては、従来どおりの点検を行うことなど到底不可能だろう。
リソースが限られる中で国土のインフラを維持していくためには、データを軸にして多様な組織が結びつき、社会全体で効率的に支え合うしくみが不可欠となる。技術の実装以上に、そうした新しい社会運用のためのルール作りこそが急務であると以前から主張しているが、今回、さらに強く感じた。
坂村 健
